- kei_sadalsuud
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昨夜、2003年1月18日のイラク戦争反対ワシントンD.C.50万人集会の映像をyoutubeで見た(ビデオ持ってるんだけど)。アカデミー女優ジェシカ・ラングとか元司法長官ラムゼイ・クラーク達が超カッコいいスピーチしたやつ。ため息ついたことが二つばかり。(続
2012-06-16 14:47:05続)一つは、みんなスピーチが上手いんだけど、その中で度々社会運動の歴史的出来事(公民権運動やベトナム戦争反対運動の諸々の出来事)や合衆国憲法への言及があること。自由とデモクラシーの歴史と理念の中に現在の自分たちの行為を位置づけるという「語りの型」があるわけだ。
2012-06-16 14:53:35続)そういう米国社会運動のスピーチと比べると、日本のスピーチって、そういう歴史と理念の文脈への定位という語りが希薄だよなぁと。歴史なら、日本だって水俣病その他の公害・薬害問題をめぐる運動、もっと古くは田中正造という歴史的人物もいたりするのに、そこに結びつける語りは少ない。
2012-06-16 14:59:55続)理念に関しては、日本国憲法持ち出しすスピーチなんてのも(九条問題以外では)まずない。「民主主義」という言葉は昨日の官邸前デモでも聞かれたと思うけど、社会への訴求力って、実はイマイチなんじゃないかとさえ思える。哀しいことに。
2012-06-16 15:01:55続)12年ほど前に@M_shirabe さんと米国調査に行った際、訪問先の人に誘われてマサチューセッツ州の環境法で予防原則を法制化しようという環境系の運動のワークショップに出たことがある。その中のグループ討論で、口ごもったシャイな女性に対して別の女性が一言「言論の自由よ」と。
2012-06-16 15:05:47続)これはけっこう自分的にはプチ衝撃的だった。日本で、そういう理念の言葉がふと出てくることがあるだろうか。まぁ、あの集会は運動系のもので米国内でも「特殊な人たち」の集まりだからこそのやり取りなのかもしれない。けれど、同じようなシチュエーションで日本ではどうなのかと疑問に思った。
2012-06-16 15:09:06続)もちろん日本でも、まさに言論の自由が問題になるような場面なら、それが議論の俎上に載るし、スピーチでも語られるだろう。けれど、仮に運動系の人たちの集まりの場だとしても、言論の自由がテーマになってるわけでもない文脈で、さらりと「言論の自由よ」なんてセリフが出てくるだろうか。
2012-06-16 15:10:47続)つまり、言論の自由にしめ他の理念にしろ、米国社会では(一様ではないにせよ)それらの言葉は「生活の言葉」の一部になっているのではないか、それに対して日本ではあくまでも「理念の言葉」として、上滑り感と居心地の悪さを拭えない言葉に留まっているのではないか。
2012-06-16 15:13:03続)それがDC50万人集会映像を見ての一つ目の溜息。ちなみに歴史の想起に関して言うと、スピーチで語られるのは、公民権運動のように社会運動として「成功した」ものばかりではない。たとえ結果は否定的でも、不正義に対し立ち上がったことそれ自体が価値あることとして国民的記憶になっている。
2012-06-16 15:15:33続)もう一つの溜息は、首都のど真ん中、大統領府・行政府・連邦議会の直近に何十万にも集まってデモできるような巨大な公園があるということ。リンカーン記念堂から議事堂まで約4キロあまりの長大なスペース。ああいう空間はこの日本には存在しない。
2012-06-16 15:23:43続)そういう物理的空間はどうしようもないが、「社会運動の語りの型」というのは、日本独自の歴史的・理念的文脈の中で編み上げていくことはできないのだろうか。恐らく一つの障害は、学校教育の中で、社会の負の歴史や社会運動、社会理念を「国民的記憶」とする機会が希薄であることなのだろうが。
2012-06-16 15:26:36続)まぁ、そんなことをふと思った次第。ちなみにワシントンD.C.50万人集会の映像は、2003.1.18のはこれ http://t.co/9FLRtSEI くらい。あとは1.27のがけっこうある。
2012-06-16 15:27:33あと昨夜我が家で話したのは、記録された動画のほんとに多くが、女性のスピーカーであり、数少ない男性スピーカーも、声を荒げた怒りのスピーチではなく、歴史と未来を語るものだったこと。エモーションに訴えかける盛り上がりは素晴らしいけれど、攻撃的であるよりクリエイティヴな声であること。
2012-06-16 22:12:28.。o○(民主主義国の国民としては、私たちはほんの赤ん坊だと思う。デモや集会のあり方って、文句を言うものではなく自分たちで作るものなんだよね。)
2012-06-16 22:13:43.。o○(イラク開戦前のピースウォークの時より、所轄のお巡りさん達の共感はずっと得られているのは明らか。ピースウォークのときは公安じゃない所轄のお巡りさんすら、参加者のことを「このバカ左翼が!」っていう目で見て挑発して罵ったり蹴ったりした。今はずっといいよ!)
2012-06-16 22:28:43@hirakawah 同感です。アメリカは常に理念の上に作られた歴史を常に確認する事が国のアイデンティティなのに対し、日本は「いま在る」ことの共有がその根底にあるのでは、と感じます。明治の近代化において血統で歴史と理念を代替しようとして、敗戦でこけてゼロクリア、ここに至ると…。
2012-06-16 15:24:43そういう点では米国は特殊な国ではあるんですよね。RT @no1hasgone: @hirakawah 同感です。アメリカは常に理念の上に作られた歴史を常に確認する事が国のアイデンティティなのに対し
2012-06-16 15:32:58.@no1hasgone とはいえ欧州でも歴史と理念に定位される語り(大義名分の語り)は一般的のように思います。条約交渉や国際標準交渉でも、欧米はそういう語りが上手く、それで身時からの政策と利益を正当化するところがあり、日本は理念語り合戦で負けてしまうというパターンもありますね。
2012-06-16 15:36:22.@no1hasgone そういう意味では、一種の欧米エリート文化の覇権の問題ともいえなくもないですが、まぁ、そこまで相対化する必要もないかなとも。
2012-06-16 15:38:29@hirakawah そうですね。一方でアジア…例えば中国と日本を比較するとどうなんだろう、と本業柄思いました。そういう観点で彼らの「語り」は聞いたことがないので…
2012-06-16 15:42:06そこは興味深いですね。中国は独自のものがありそうな気がします。RT @no1hasgone: @hirakawah そうですね。一方でアジア…例えば中国と日本を比較するとどうなんだろう、と本業柄思いました。そういう観点で彼らの「語り」は聞いたことがないので…
2012-06-16 15:43:41@no1hasgone 他方アフリカもそうですが、政治・経済エリートの多くが欧米の大学で教育受けてることで欧米的語りをベースに国際交渉するというのもあるようにも思いますがどうなんでしょう?その点、自前でエリート養成(ほんとにエリートかは別として)できちゃった日本は不利ですね。
2012-06-16 15:48:10