9
Yukako MATSUMOTO @snowystreet
阪神淡路大震災で、神戸に行って被災した人は不運だ、神戸に行ってなくて自分は震災に遭わず運が良かった、そういう考え方を読んだけど、それにはくみせないなあ…今はもう。それって「神戸に住んでいた人たちは不運だ」と言っていることでもあって、あまりに他人事で、あまりに言葉の網が大きすぎる。
Yukako MATSUMOTO @snowystreet
震災で、ちょっとした差で(隣の人に物が落ちてきた、自分には落ちてこなかったなど)助かるかどうかが分かれたりする。運・不運はあると思う。でも、地震国日本に住んでいればどこにいても、地震に遭うかどうか確率の差でしかない。たまたま自分は遭わなかった助かった死ななかっただけ。
Yukako MATSUMOTO @snowystreet
地震のメカニズムや防災の研究等々、地震が起きた後の対策の策定、また家庭や個人で気をつけたり、知識を共有し分かち合うこと、助け合うことで、助けられる命が増える。地震が起きても、「震災」という災害を減災することは出来る。阪神淡路大震災後はそう考えて行動している人いっぱいいるはずやねん
Yukako MATSUMOTO @snowystreet
あの震災の時に神戸にいた人は不運とかいうなや。人は必ず死ぬ。でも兵庫県南部地震、阪神淡路大震災では理不尽な死、死ななくてもよかった人たちがいっぱいいた。そのひとたちはただ神戸にいただけなの。ただそれだけ。
Yukako MATSUMOTO @snowystreet
神戸だけじゃなく自分たちの街にいただけなの。地震が起こると多くの人が知らなかった街に、ただ住んでいた。断層だらけでいつか大地震が起こることをきちんと知っていれば良かったし、もっと出来ることもあった。でもそれは特段、被災地だけの不運や不幸じゃない、たまたまそこでおこっただけ。

コメント

Yukako MATSUMOTO @snowystreet 2010年1月14日
twitterユーザーの震災についてのつぶやきを集めて次々表示するサイトも出来ています。SinsaiNow http://19950117.jp/
ソウジョウ⛩ @blauburg 2010年1月14日
その"たまたまそこにいた/いなかったこと"を「運」と表現する人がいるだけで、言ってることは同じじゃないのでしょうか
Yukako MATSUMOTO @snowystreet 2010年1月14日
地震国日本に住んでいればどこにいても、地震に遭うかどうか確率の差でしかない。自分だっていつ地震に遭うかはわからない…ということと私は考えます。それを運、不運ととらえ、そのように表現するということはあるかもしれませんし、また、そう考えてしまうのは自然なことかもしれません。
Yukako MATSUMOTO @snowystreet 2010年1月14日
そしてその人自身の「運、不運」の考え方をもって、「震災の時に神戸に居た人」に対して「私は神戸に居なくて運が良かった、あなたたちは不運だった」と言ってしまうのは違うと私は思います。
Yukako MATSUMOTO @snowystreet 2010年1月14日
「運、不運」で考えてしまうのは自然であっても、それだけで片付けない。どのようにすれば今後の災害を減災できるかを私は考えたい。そういう意味で、このまとめのタイトルは「阪神大震災の被災を「運」の差だと片付けない」としました。
Yukako MATSUMOTO @snowystreet 2010年1月16日
訂正、タイトルは「阪神淡路大震災の被災を「運」の差だと片付けない。」でした。
@ryotayam 2011年1月26日
私もついblauburgさんと同じ事を言いたくなりますが、@snowystreetさんの仰りたいニュアンスも理解できるつもりです。たとえそうだとしても「運」という単語をこの場合に使うのは確かに不適切かも…反省。
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする