#阪神淡路大震災 から22年後の回想

2017/1/17平成7年阪神淡路大震災から22年が経過しました。 震災当時の回想をつぶやいていたひでむら(@hidemura_2009)氏のツイートを中心にまとめを作成しました。
阪神・淡路大震災 地震 災害派遣 震災
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神戸ルミナリエ @FeelKOBE_Lumi
2017年1月17日になりました。 今から22年前の1995年1月17日は火曜日でした。そして、今日も火曜日。あの日は3連休の翌日の平日でしたね・・・ なかのひとの記憶では、両親と前日の月曜日に確か明石家さんまさんのテレビ番組を見て就寝し、その日を迎えました。。
神戸ルミナリエ @FeelKOBE_Lumi
記憶を後世に。今日1日はみなさんの当時の記憶や後世へのメッセージを #阪神淡路大震災 のような形式で発信していただけると幸いです。 pic.twitter.com/k6Grdgn2im
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ツクダニ @tsukudani_rn33
1年前の2016年1月17日付の神戸新聞より。 「あの日を知らないことは、幸福か」 インパクトあるコピーに圧倒されたので再掲。 #阪神淡路大震災 m.facebook.com/story.php?stor… pic.twitter.com/6R2JEyA316
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Kei @keitter1973
あの日は前日が成人の日の振替休日で連休明けだったんだよな #阪神淡路大震災
ひでむら @hidemura_2009
そうあの日、成人式に出た翌日の振替休日の残留人員で駐屯地に残ってて、隊舎のベッドの上であの揺れを感じたんだよな…。
ひでむら @hidemura_2009
あの日、『娘を助けてください!』と呼ばれ、分隊長と4人ほどで現場に向かったら、崩れたコンクリート製の壁の隙間から学生服の袖と手だけが伸びてて、すでに反応も無く、救助する機材も無く、なんの手立てもなく中隊に戻るときのあの突き刺さるような市民の視線が、今でも心のしこりとなって残ってる
ひでむら @hidemura_2009
激しい揺れが来るちょっと前、自分の営内班は2階にあって、1階の端から鉄製の扉や窓ガラスが揺れる音が近づいてきたのを、夢現の中うっすら覚えてる。
ひでむら @hidemura_2009
ベッドや部屋全体がガタガタと揺れる中、何が起きたのか解らない自分は、ただ布団と毛布の中で身構え、隣のベッドの頭の棚から何かが落ちる音を聞き、揺れが収まるのと同時に、まだ起床時間ではなかった為ちょっと躊躇しながら部屋の照明のスイッチを入れた。
ひでむら @hidemura_2009
隣のベッドの棚から落ちたのは、徒手格闘の試合か何かで遠征してた同期の隊員のライナー(中帽)ヘルメットだった。つばが割れていた。
ひでむら @hidemura_2009
窓の外を見ても空は真っ暗。臨海のコンビナートの煙突から炎が上がっているのが見えたが、確かあれはいつもの風景で火事では無いハズだと思っていた。向かいの連隊本部が入ってる隊舎では当直室の明かりがついてて、赤い線が入った当直腕章をつけた隊員が走り回ってるのがチラッと見えた記憶。
ひでむら @hidemura_2009
本来ならまだ消灯時間でテレビを付けるのは気が引けたから、自分が持ってるラジオで558ラジオ関西にしてみたが、何も聞こえず、まだ放送が始まってないのだと思ってしまう。(のちに、放送は始まっていたが放送局が神戸で被害を受け、放送が中断してたと知る)
ひでむら @hidemura_2009
隣の営内班の同期に会おうと部屋を出たら、向かいの部屋の古株士長と『えらい揺れやったなぁ!』とか言いながら出てきたところとすれ違う。
ひでむら @hidemura_2009
で、その同期はと言うと、グッスリ寝込んでて揺れに気付かす、周りが騒ぎ出したことで目が覚めたようで、『なにかあったん?』と寝ぼけ眼で二段ベッドに横たわってたw
神戸ルミナリエ @FeelKOBE_Lumi
震災の記憶を後世に。 あの日も寒い朝でした。この日は直後に猛烈な火災が襲いました。こちらは震災から数日後の長田区新長田駅前 #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/SRfEqDwx08
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神戸ルミナリエ @FeelKOBE_Lumi
この時間帯には避難所に人が溢れました。なかの人も避難先の小学校の教室には入れず、廊下で待機していました。そして、午前8時には火災が生家を襲いました・・・ #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/lyxBBzvgif
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神戸ルミナリエ @FeelKOBE_Lumi
1995年1月17日のお昼、何をしていましたか?写真は当時の長田区日吉町  出典:阪神・淡路大震災「1.17の記録」kobe117shinsai.jp pic.twitter.com/r7TTMf90EG
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神戸ルミナリエ @FeelKOBE_Lumi
駅舎の崩壊(新長田駅) 出典:阪神・淡路大震災「1.17の記録」kobe117shinsai.jp pic.twitter.com/9qSb5KDLrl
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神戸ルミナリエ @FeelKOBE_Lumi
@FeelKOBE_Lumi  同じ日の駅舎東口の様子。火災で周辺は炎上 出典:阪神・淡路大震災「1.17の記録」kobe117shinsai.jp pic.twitter.com/PIj8hwRex3
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神戸ルミナリエ @FeelKOBE_Lumi
1995年1月の神戸市中央区三宮交差点 出典:阪神・淡路大震災「1.17の記録」kobe117shinsai.jp pic.twitter.com/51tFnK8kYN
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よごれん @yogoren
今日でもう22年にもなるんですね。あの地震は、人生で初めて「死」を意識した瞬間でもありました。自転車で繰り出した西宮や芦屋の街は変わり果てていて、どこに行ってもガス臭く、電線が地面に垂れ下がり、そして多くの人がまだ瓦礫の下にいました。 #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/B3vUDW76td
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よごれん @yogoren
鉄道も大きな被害を受け、震災当日に脱線したシュプール号や倒壊した駅舎を見て、これは本当に大変なことが起きたのだと、改めて実感した覚えがあります。そして、瓦礫の山からあっという間に復旧を成し遂げ、力強い復興を牽引したのもまた、鉄道でした。 #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/fxCxLrAIMk
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よごれん @yogoren
何度も言いますが、震災で高架橋が倒壊し、駅舎が全壊し、軌道が焼失し、用地の境界すら分からなくなったJR東海道山陽本線がわずか74日間で復旧したのは、まさに奇跡でした。 #阪神淡路大震災 pic.twitter.com/Y35B4jhQuJ
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わかば @JAPAN_wings
阪神淡路から22年目ということで、先の3.11と併せてお話したいことは「救助に参加したくとも出来ない自衛官が少なくとも2種類いた」というあまり語られることのない面があることです。1つは、本来の任務である国防をその時も行っていた人。もう1つは、救助の後方部隊へと配属された人です。
わかば @JAPAN_wings
1つめは言わずもがなですが、自衛隊の主任務は国防であり、24時間の警戒監視の為に呼び人員も含めれば数万人の人間が常に待機していると言われています。どんな災害が起ころうとも、動かせない人間というのは一定数生まれていたという、これはまだ知られている話かと思います。
わかば @JAPAN_wings
2つめの「救助部隊の後方へと配備された人」は、例えば輸送機の給油であったりつまり直接被災地へと出動させられなかった人を指します。これも重要な任務であることに代わりは無いのですが、給油作業のみで災害派遣任務が終了して、災派賞詞を授与されたことにやるせなさを感じた人も少なくないと
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