コシノヒロコ 生涯現役の女性仕事術 第2回「逆境をチャンスに変える」書き起こし・ほぼ完全版

NHK・Eテレ「仕事学のすすめ」で放送されたものを、文字起こししています。 トランスレーター:野田稔(明治大学大学院教授)
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冒頭のVTR

とし @toshihiro36_sub

<ナレーション> 今月の「仕事学のすすめ」は、今年デザイナー生活55年目を迎えるファッション・デザイナー、コシノヒロコさん。第2回は、コシノさんのこれまでの試練を振り返ります。その仕事人生は、決して順風満帆ではありませんでした。

2012-06-17 14:22:40
とし @toshihiro36_sub

<ナレーション> 30代で離婚を経験、その痛手を乗り越えて手にしたファッションの本場パリへの進出。世界から高い評価を得るものの、急激な円高で会社は赤字。さらに日本ではバブルが崩壊し、窮地に立たされます。バブル崩壊後同業他社の倒産が続く中、コシノさんの会社はみごと回復を果たします。

2012-06-17 14:26:49
とし @toshihiro36_sub

<ナレーション> なぜ厳しい状況の中、コシノさんの会社はよみがえったんでしょうか。今日は逆境をチャンスに変えた、コシノさんの戦略に迫ります。

2012-06-17 14:30:15

ここから本編です

とし @toshihiro36_sub

<ナレーション> 1964年、大阪の中心、心斎橋。27歳のコシノさんは、ここに高級服をオーダーメイドで作る、オートクチュールの店を出します。服の専門学校を卒業後、はじめて持つ自分の店でした。そのデザインセンスが口コミで評判になり、店は流行ります。

2012-06-17 14:38:18
とし @toshihiro36_sub

<ナレーション> コシノさんは2人の子供にも恵まれ、入り婿だった夫は心斎橋の店でサポート役を務めます。順調に思えたのも束の間、コシノさんへの注目度が高まるにつれ、夫とすれ違い亀裂はどんどん大きくなりました。悩んだ末36歳で離婚、2人の子供とともに再出発を決意します。

2012-06-17 14:42:08
とし @toshihiro36_sub

<ナレーション> コシノさんにとって、最初の逆境でした。

2012-06-17 14:44:37
とし @toshihiro36_sub

野田:ちょっと聞きにくい話ですけれど…離婚なさった時、どんな気持ちでいらっしゃったですか?

2012-06-17 14:52:06
とし @toshihiro36_sub

コシノ:私は小さいときから、仕事というものが私の最大の使命だと思ってきたんです。お嫁さんになってお母さんらしくするとか、お嫁さんらしくするということは、うちの家庭としては二の次だったんです。当然仕事ですよね。

2012-06-17 15:02:02
とし @toshihiro36_sub

コシノ:仕事のためには一人でいた方がいいと。家庭の中にもめごとがあったから、それをクリアにして…もっと仕事に打ち込みたいと思ったんですね。たしかにそれをパシッと切り裂くということはとても辛いです。

2012-06-17 15:07:02
とし @toshihiro36_sub

コシノ:けれど子供のことを考えたりとか、とくに女ですから一人でいるのもどうかとか…いろいろ考えますと、さびしいとかいろいろあるんですけれども。でもそこでそういうことを考えて中途半端な気持ちでズルズルといくと、仕事にもよくない。

2012-06-17 15:20:56
とし @toshihiro36_sub

コシノ:そこでキッパリとはっきりとした方がいいなと思って。離婚はとってもしにくかったんですけどなんとか。というのは私は養子とりなんで、出ていってくださいの方なんで…もう難しいんです。私、嫌だから出ていきますだったら…出ていきようがないんですよ。それを解決するのは非常に難しかった。

2012-06-17 15:46:35
とし @toshihiro36_sub

野田:離婚のとき本当に辛かったと思いますけれども、そのとき乗り越えるきっかけになったことはありましたか?

2012-06-17 15:50:17
とし @toshihiro36_sub

コシノ:ある時に道を歩いていて…交通量の多い道だったんですけど、ちっちゃく紫色の花が咲いていて。あれはスミレのような雑草ですね。雑草がコンクリートの割れ目から顔を出していて。いつ何時、人間に踏まれて生命を絶ってしまうかわからないような…それでも健気に咲いているんですね。

2012-06-17 15:57:44
とし @toshihiro36_sub

コシノ:それを見た時に、「この小さな名もない花でも、こうして生きてるじゃないか」って。頑張って生きてれば、雨も降ってくる。そして生きながらえる。必ず私にも素晴らしい雨が降ってくれると。だから私は必ず頑張る。それからですよね、何を見てもありがたかったし。

2012-06-17 16:03:30
とし @toshihiro36_sub

コシノ:たくさんの人との付き合いがどんどんうまくいって…私は別れた主人に対しても、「ありがとう」って言えました。

2012-06-17 16:05:03
とし @toshihiro36_sub

<ナレーション> 離婚の辛さを乗り越えようとするコシノさんに、大きな仕事が舞い込みます。イタリアのローマで作品を発表することになったのです。東洋と西洋の融合という、自らのコンセプトを存分に表現しました。現地の雑誌にも取り上げられ、高い評価を得ます。

2012-06-17 16:13:13
とし @toshihiro36_sub

<ナレーション> 帰国したコシノさんは、もっと自分を高めたいと考え決断をします。それは六甲山中腹に、自宅を建設することでした。設計は友人の建築家・安藤忠雄さんに依頼します。当時、第2次オイルショックの影響で、店の売り上げが落ちていました。

2012-06-17 16:16:56
とし @toshihiro36_sub

<ナレーション> 大きな借金をして建てることに周囲は大反対。しかし、あえて借金という逆境を自分に課しました。なぜ、それほど家が必要だったんでしょうか。

2012-06-17 16:19:37
とし @toshihiro36_sub

コシノ:もっと世界の中で仕事をするとすればどうしたらいいのか考えた時に、成功すればするほどプレッシャーがかかるものです。その上をいくっていうことですから。

2012-06-17 16:25:42
とし @toshihiro36_sub

コシノ:結局は自分の生活を完全に整理し直すっていうことですね。生活からくる自分の心境を、根本的に正していくというか。そのために家を建てた…四季を感じるような、生活を根本的に変える。

2012-06-17 16:31:28
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