- letmebeyourBB
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性的越境芝居を観て、自分なりにずれまくった感想を垂れ流して、ほかの人の感想もちょこちょこ拾ってみたりして、それをするほどにもやもやするものがあって、いったいなんなんだろうと考えていた答えのような、考えごとのつづきをまたもや垂れ流します。言語化の過程で正確さは失われます。長いです。
2012-07-02 10:50:30観る側がすきに解釈するのは仕方ないけれど、観せる側が最初からそれをあてにして投げるのは望まれないほうの暴力じゃないか。「どんな解釈をされても構わない(厭な視点ずらしをすると、それだけ作品の強度に自信がある)」のと「どう解釈してもいい(放り投げ)」は全然違って、後者はただの手放し。
2012-07-02 10:56:18性的越境芝居がそれをあてにしてたかはちょっと自信なくて、てかそれを悪いと思わないのだけど、舞台なんてただでさえわかりあえないのに、それでもぶつかっちゃうのに、そんな場所でこすれ合うことすら許されないならそれはたまらなく悲しいことで、そんな悲しみを売るのはずるいってことです。
2012-07-02 11:26:44あんまり感想は細かく書かないし感覚で捉えるからなんとも言えないけど、性的越境芝居は菰田さんが好きな演劇がべったり越境して来てあんまり好きじゃなかったなぁ。居心地の悪ささえ感じた。なんかむず痒さというかなんというか…
2012-07-02 15:31:55劇団森×自由迷子観劇。って書くとなんのこっちゃってなりますね。性的越境芝居と銘打たれているけれど、そこに引き摺られると迷路に入りこんでしまう。芝居の作り手に対して、諸概念への明快な定義づけと応答を最優先事項として要求する人々にとっては我慢ならない作品だったのかもしれない。
2012-07-02 21:14:08森×自由迷子続き。この芝居において、境界の設定を所与とした上でそれを飛び越えるのか、境界そのものを溶かそうと試みるのか、その一貫性が見えないという批判は妥当かと思う。前者は菰田、後者は山崎が持ちそうなアイデアで、そのずれが作品に反映されたのではないかと邪推する。が、しかしだね。
2012-07-02 21:14:22森×自由迷子続きの続き。これはそんな芝居なのだろうか。勿論それもテーマに含めていただろう。しかし重要なのは、俺たちが無自覚に信仰している様々な観念が、関係性や社会性に拡張されて暴力的な性格を持つことを示し、そこからの解放をラディカルな形で試みたというところなのではないだろうか。
2012-07-02 21:14:28森×自由迷子続きの続きの続き。冒頭の笠原と菰田の会話に代表されるノスタルジアは、そんな諸観念が形成されていく前夜をいま一度想起するきっかけを与えようとしているように感じた。胎内と表現した新上氏の説は、観念の形成前を描くという意味で、たぶん俺のこの芝居に対する理解にわりと近い。
2012-07-02 21:14:38森×自由迷子続きの続きの続きの続き。観念からの解放は、言葉や行為では為され得ない。それらの道具こそが、その観念を規定しているからだ。また目という器官は、時折先入観やを無批判に受け入れてしまう。ので、途中から俺は目を閉じていた時間の方が多かった。役者の動きは声と足音から想像したり。
2012-07-02 21:14:46森×自由迷子続きの続きの続きの続きの続き。これらは二人がリベラルかつラディカルな姿勢を持っていることとか、6~70年代ブリデッシュロックあたりに造詣が深い(偏見だったらごめん)と俺が認識していることから、その性格も考慮に入れて考えたことです。だから少しずるいといえばずるいのかな。
2012-07-02 21:14:53森×自由迷子続きの続きの続きの続きの続きの続き。確かにユートピアなのだけど、何の憂いもないわけではなく、どことなく退廃的な空気があって、そういうのが個人的に本当に好みなので、とても心地いい空間でした。笠原の存在が非常に大きかったと思う。全体的に、いい役者さんを揃えたなと思った。
2012-07-02 21:15:00くやしい 思い出してしまう きれいなあの箱の中 箱には性的越境という名前がつけられて そのことに納得はしなかった 白い、淡い、溶けあっているあの箱の中の あそこで見たありさまに いまになってからじわじわと浸食されている くやしい 涙が出る http://t.co/z6xtgASL
2012-07-02 22:28:54くやしい かしこく そつなく 人称を文体を使いわけて 生きる 考えることが僕のはずなのに 美しさなんて きれいごとなんて って ずっと思ってたのに 脳髄じゃない ところから勝手にぼろぼろ涙が ずるい ずるい
2012-07-02 22:35:34