『最終電車』/ 奥華子 の歌詞に関する考察
奥華子さんの『最終電車』という曲の最後のほうの歌詞で,「最終電車の中 扉が開いたとき もう一度走り出してた」という部分がありますが,その意味をどう解釈するかについて,話し合いました。
きんちょ🐧コかアイス
@aqkii
『最終電車』の「マナーモードのおやすみ」は、彼からきたメールでいいと思うんだ。問題は、彼女が家につくまでメールを返せないこと。ウザイ女とみられないようにしてるのではないかな
2012-07-09 09:08:03
きんちょ🐧コかアイス
@aqkii
@aqkii 彼が「おやすみ。」とメールしたから、「おやすみ。」状態になるまで返せない。電車のなかからはメールできないのでは。ますます好きになっていく自分とドライになりはじめてる彼。それが基調にあって、電車のなかから走り出して家についてやっと返せたメールが、…
2012-07-09 09:13:12
きんちょ🐧コかアイス
@aqkii
@aqkii …「おやすみなさい。やっぱり今日も好きでした」なのだと思う。もうすこしで 壊れそうな、ぎりぎりのところから、手に残った温もりを頼りに必死に返信したのではないか?
2012-07-09 09:17:01
きんちょ🐧コかアイス
@aqkii
@aqkii 「不安になる」とか、「切なくなる」という歌詞は、単なるセンチメンタルな表現ではなくて、もっと深刻なものかもしれない。そう、おもえてくる。
2012-07-09 09:19:41
きんちょ🐧コかアイス
@aqkii
…なあんて、いつまでも この話、ひとりでツイートしてる わたしは、ウザイですか? きらわれてます? 嫌ってるなら、わざわざ 晒してくれなくてもいいと思うんだが。
2012-07-09 09:27:59