- collbrande
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T54/55とは旧ソ連で製造された戦後初期の平時用戦車です。平時用ということは戦時用の戦車もあるんだなと思った人は正解。 その戦時用戦車がT34でした。 と言うことで、少しT34のお話を。
2012-07-28 00:13:58戦時中、レンドリースの見返りとしてT34がアメリカに送られたことがありました。アメリカのアバディーンでT34は徹底的なテストを受け、厚い報告書の完成を持って終了します。この報告書はソ連にも送られていますが、ほぼ完全に無視されました。で、その内容とは。
2012-07-28 00:17:14アメリカのT34分析レポートでT34はおおよそ300キロメートル程度の走行で修理不能なレベルに破壊されたとあります。理由はフィルターの構造的欠陥で砂の侵入が防げなかったとあります。 また砲塔のハッチなどにも問題あるとし、多くの実用上の改善余地があると結んでいました。
2012-07-28 00:21:17ところが、このレポートと同じようなことを言って処刑された人がソ連にいます。開戦前、当時の戦車採用担当の偉い人です。 彼は改善を求めて生産を阻害した罪で残念な事になってしまいます。
2012-07-28 00:23:42この事からわかる様にソ連は戦車の構造的問題を全部わかった上で戦時生産を強行するべきだというラインで意思統一をはかっていました。 まあ、これはまるっと正解で、ドイツの戦車生産が本気モードになるのが遅すぎて押し切られた経緯を考えると、大正解だったと言えます。
2012-07-28 00:28:07ただまあ、当時のスターリンの言動から開戦前の状況で技術的問題のある戦車の生産にGOサインを出さなかったというのは常識的であり、超能力者でも無理かな的なかわいそさがありました。 それでもまあ、この責任者更迭がもたらした心理的影響は大きく、ドイツよりソ連が先に戦車生産で本気をだします
2012-07-28 00:32:03さて。そういう経緯があっての戦後です。当時のソ連は戦争をかなり嫌がってました。この辺はアメリカの作ったイメージとだいぶ違うところです。 何で戦争を嫌がったかと言えば、人的損害のあまりの多さです。 青年男子のね。回復まで30年という試算もありました。
2012-07-28 00:35:05そんな中での戦後の戦車設計です。 ソ連に戦争疲れの機運が出ている中、設計された戦車、後のT54へ続く流れは、びっくりするぐらい量産が遅れ、改修を繰り返します。 採用後も低率生産が続き、大量生産が始まったのは朝鮮戦争に触発され始めたくらいでした。
2012-07-28 00:39:53ちなみに余談ですがアメリカも戦争を嫌がっており、これは朝鮮戦争中の弾薬不足という形で結実します。 物量豊富なイメージのアメリカですが、朝鮮戦争では弾薬不足に泣いて共産軍の方が砲火力で常に優勢にありました。
2012-07-28 00:42:28で。T34レポートなんてもらわなくても十分問題をわかった上でのソ連の戦車設計は、結果平和な時代の戦車として戦前T34が生産中断して改良を待ったのと同じ様な展開になりました。 なったんですがこの時責任者は処罰されたりしていませんから、そこはやはりソ連は論理的だったと言えるでしょう。
2012-07-28 00:47:25生まれた戦車は平和な時代の戦車として申し分のない信頼性と冗長性を持っていました。 物持ちのいい戦車であり、長く改良しながら使える構造をもってました。 後継のT55も意図的に部品共用が多くなっており、古いT54もアップデートを受け続ける事が出来ました。
2012-07-28 00:50:15なんでT54/55と一緒くたにされているわけですね。 この戦車は求められるままに長寿で長きに大量生産され、他の兵器と共に30年の平和を作る屋台骨になります。 そんな戦車なんで実戦での成績は二の次でいいと思います。 使われない戦車にも高い価値はあったのです。
2012-07-28 00:54:27アメリカ含め、T54/55には異様な警戒をしていましたし(半分は予算分捕りのための演技とはいえ)結果この評価がアメリカの外交政策に影響を与えたところもあります。 日本でいうなら昭和9年と12年の危機を乗り越えて開戦を遅らせた重巡群と同じ、平和のための兵器でした。
2012-07-28 00:58:43