茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第672回「日本人はなぜ、オリンピックが好きなのか」

脳科学者・茂木健一郎さんの8月1日の連続ツイート。 本日は、日本におけるオリンピックの熱狂について。
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茂木健一郎 @kenichiromogi

しゅりんくっ! ぷれいりーどっぐくん、おはよう!

2012-08-01 06:08:26
茂木健一郎 @kenichiromogi

滞在中の沖縄から、連続ツイート第672回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、日本におけるオリンピックの熱狂について。

2012-08-01 06:43:16
茂木健一郎 @kenichiromogi

にお(1)ロンドン・オリンピックの報道が、連日続いている。ニュースは毎回トップ扱い。通常のスポーツイベントと比較しても、段違いの時間、紙面が割かれている。メダルを獲得した選手へのインタビューも手厚い。オリンピックが重要なスポーツの祭典であったとしても、日本の報道は熱狂的だ。

2012-08-01 06:45:10
茂木健一郎 @kenichiromogi

にお(2)日本人は、なぜ、オリンピックが好きなのだろうか。そこには、日本人にとっての「世界」という言葉の魔力があるような気がしてならない。「世界」の強豪を相手に、メダルをとった。それが、あたかも国内の活動に比べると一段上であるかのような、そんな魔法の中に私たちはいる。

2012-08-01 06:47:35
茂木健一郎 @kenichiromogi

にお(3)オリンピックに関して、日本のメディアの報道は、たとえば、地方紙の地元出身の人の活躍の報道の仕方に似ている。地方に行って新聞の紙面を見ると、おらが故郷出身の人間が「中央」に出ていって活躍しているという趣旨の記事をしばしば見かける。日本人にとって、「世界」が「中央」なのだ。

2012-08-01 06:50:13
茂木健一郎 @kenichiromogi

にお(4)地方、あるいは日本というくくりで、「同郷」の選手が活躍することを喜ぶ人間の心理は、理解できる。文化的、風土的に自分と共通の部分が多い人が、ローカルな文脈を超えたより大きな文脈で活躍することは、そのまま、自分の活躍の可能性を高めてくれることになる。インスパイアされるのだ。

2012-08-01 06:51:59
茂木健一郎 @kenichiromogi

にお(5)とりわけ、スポーツにおいて、日本人は、「体力的に劣る」といった、ある種の固定観念を持っている。だからこそ、「同郷」の日本人が、「世界」という舞台において、他の強豪を相手にして勝ち抜いてメダルを獲る、という「物語」に、私たちは熱狂するのだ。背後にあるのは「不安」である。

2012-08-01 06:53:27
茂木健一郎 @kenichiromogi

にお(6)日本人のオリンピック熱狂の背後にある不安。果たして、自分たちは「世界」で通用するのかどうか。自分たちの文化には、普遍性があるのかどうか。不安を背景とした日本のオリンピック熱狂は、自分たちの文化が普遍性を持つと信じるイギリスやアメリカにおける報道とは、おそらく違う。

2012-08-01 06:55:19
茂木健一郎 @kenichiromogi

にお(7)本来、オリンピックはスポーツの祭典であり、趣旨は技術やスピードを巡る競争にあるはずだが、日本人の場合、そこに「ローカル」な文脈から「世界」という文脈に「脱皮」するというステップが一つ盛られている。その「プレミアム」感が、日本におけるオリンピック報道を過熱させる。

2012-08-01 06:57:13
茂木健一郎 @kenichiromogi

にお(8)「日本」対「世界」という文脈認識は便利だが、弊害もある。例えば、日本固有のプレイドが失われること。漫画については、「世界」を持ち出さなくてもそもそも日本が最高峰。日本の漫画が世界各地で流行っても、それは「ボーナス」だくらいの認識が、漫画関係者にはあるのではないか。

2012-08-01 07:00:42
茂木健一郎 @kenichiromogi

にお(9)オリンピックにおける選手たちの挑戦、活躍に価値があることは言うまでもない。一方で、過熱報道には、日本固有の事情が加わっていることには、意識的であるべきだろう。メディアには、視聴率や部数をかせぐために報道を過熱させる動機付けがある。つきあい過ぎると、本質が見えなくなる。

2012-08-01 07:02:45
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート第672回「日本人はなぜ、オリンピックが好きなのか」でした。

2012-08-01 07:03:17