カンボジアの『アモック』について

タイトルどうりです
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@bukrd405

カンボジアで昔から伝わる、夫を政府高官(あるいは王族)に殺された若妻の復讐譚。彼女は夫の敵に言い寄り、相手を魅了して妻の座におさまる。妻は5年、10年と待ち続ける。そして父親の子供たちへの愛情と期待が最高潮に達したころを見計らって、自ら生んだ子を一人一人殺していく。

2012-08-01 20:07:29
@bukrd405

最後の一児を殺し終わってから、高らかに復讐の歌を歌いながら夫にとどめをさす。これと似たような復讐譚は中国にもあるのだろうか?漢化される前の中国南部あたりならありそうだが・・・

2012-08-01 20:19:57
はいたか @HighTaka

@bukrd405 なんだかギリシアのメディア王女じゃん・・・

2012-08-01 20:24:45
@bukrd405

@HighTaka ひょっとして西洋から輸入された話なのか?中国の雲南あたりに『竹取物語』とよく似た説話が存在していて、どうもその話は近代以降、日本から伝わったものだそうです。

2012-08-01 20:37:40
はいたか @HighTaka

@bukrd405 ああ、あれ雲南「から」じゃなく雲南「へ」伝わって翻案されたんですか(びくーり) だったらどうかんがえてもユリシーズの翻案の百合若大臣も(ないない) 

2012-08-01 21:17:23

訂正

@bukrd405

@jonathanohn @HighTaka @DoDokenki 申し訳ありません。中国の「雲南」に竹取物語と似た話が伝わっていると書きましたが、実は「四川」の間違いでした。ミスを訂正していただければありがたいです。

2012-08-03 21:05:27
@bukrd405

一般に、悠長なインド文化圏に育ったカンボジア人は、中国人に鍛えられた帝国辺境国の民であるすばしこい現実主義者ベトナム人に比べ、はるかに気のいい連中であるといわれている。しかし、彼らは忍従の度を過ぎると突如、凶暴な感情を爆発させるという特性を持っているという。

2012-08-01 20:26:06
@bukrd405

「アモック」と呼ばれる現象である。「アモック」とはもともと、マレー地方のある種の熱病の名前で、正常人が突如、発熱に狂って、ひととき阿修羅のような凶行に走り、熱が去ると、自らの行為に呆然としてオイオイ泣き出したりする、という少々やっかいな症状である。

2012-08-01 20:35:01
小島愚鳩 @KojimaGubato

@bukrd405 西原理恵子の夫の鴨志田氏の話でクメール人は笑いながら人を殺すというのがありましたから色々と恐ろしいですね・・・・。父親の死体の横で子供がニコニコ笑っていたという話もありますし。

2012-08-01 20:34:29
@bukrd405

@DoDokenki ただ、復讐を美化する感覚というのは多くの前近代社会にみられます。ゴート人(ゲルマン人の一派)の復讐っぷりも凄まじい。http://t.co/WqOoKmQb メロヴィング朝年代記

2012-08-01 20:45:05
@bukrd405

シアヌーク殿下自身も、自国民の一特性を説明するさい、この「アモック」という言葉を用いている。(ただし、同じカンボジア人でも、この見解を真っ向から否定する人もいる)。ただ、ポル・ポト軍がベトナム領内を襲ってベトナム側村民を虐殺したさいの殺害方法は、通常の感覚を外れたものだった。

2012-08-01 20:40:03
@bukrd405

少なくともベトナム側の発表した写真によると、散乱したベトナム村民の死体は、赤ん坊は両足をつかんで引き裂かれ、男は首や手足を切られ、女は文字にしかねるような暴行と凌辱の痕跡をそのままにさらされ、実に凄まじいものであった。

2012-08-01 20:42:18
@bukrd405

その他にこんな話がある。村の夫が他人の蔭口から女房の浮気を発見する。男は血相を変えて家に駆け戻り、ナタをふるってまず女房を叩き殺し、子供たちを皆殺しにし、ついでに庭に飛び出して飼っていた豚を殺し、アヒルを殺し、鶏を殺し、我が家に関係のある生き物すべてを殺すまで狂いやまなかった。

2012-08-01 20:49:23
@bukrd405

カンボジアの一部には、殺した強敵の肝臓をつかみ出して食べることにより、相手の勇気がわが身に移るという考え方が残っていたそうである。そういえばかつて薩摩にも同様の習慣があったという話を聞いたことが・・・南方系の風習なのだろうか?

2012-08-02 21:33:50
小島愚鳩 @KojimaGubato

@bukrd405 それ確かひえもんとりですね。死刑囚を生きた状態から肝を奪いあうという男塾も真っ青な競技だったと思います。ただこれ一次資料が分からないのでどこまで本当か僕は分からないです。最初に存在を知ったのが劇画と小説でしたから

2012-08-02 21:57:26
@bukrd405

@DoDokenki 戊辰戦争で薩摩人が行った、という説が根強くありますね。ただ、これについては薩摩人が豚を解体して薬にしていたのを人肉を食べたと勘違いした、という説もあって真偽は定かではありません。

2012-08-02 22:15:29