沖縄戦 心の傷 ~戦後67年 初の大規模調査~
#ETV 特集。米軍戦闘機による事故がトラウマになった人も。新垣ハルさん82歳。「今頃息子がいたら、自分の人生は変わっていたかなって」戦闘機の姿を見るたびに辛い記憶を思い出し、眠れなくなる。占領下のなかで結婚し一人息子・晃くんをもうけた。
2012-08-12 22:45:08#ETV 特集。離婚後もひとりで息子を育てていたが、晃くんが7歳の時(1959年6月30日)米軍のジェット戦闘機が学校に墜落。駆けつけたハルさんが見たのは、一面焼け野原となった惨状だった。「校舎がない。息子がどこにいるか全然わからなかった」小学生11人含む17人が死亡。
2012-08-12 22:46:49#ETV 特集。ハルさん、病院に駆けつけ、晃くんの変わり果てた姿を見る。「右側はみんなケロイド、ブツブツで。顔は爆風で赤くなっているだけだった。『母ちゃん』とも言えなかった。全然目も開けない」晃くんは右半身に大やけどをおったものの、皮膚移植によって命を取り留めた。
2012-08-12 22:48:08#ETV 特集。ところが大学生のときに、腎臓に障害が出た。1974年、晃くんは亡くなった。「今生きていたら子供も孫もいる、どう変わっていたかなあと思う。自分の人生も変わっていたはず」トラウマを思い出す頻度のグラフ。墜落事故と息子の死の記憶から逃れようとしてきたが。
2012-08-12 22:49:49#ETV 特集。2004年8月13日、沖縄国際大学に米軍普天間基地の大型ヘリが墜落。「晃ひとりでいいから、もうどこにも落とさないでと願っていた。しかし落ちた。これが一番悔しかった」戦時中沖縄を焼きつくし、戦後ハルさんの息子の命を奪った米軍戦闘機は、今も飛び続けている。
2012-08-12 22:51:20#ETV 特集。沖縄の心の傷は、本土復帰を目指す中で、いったんは覆い隠されたように見えたが、戦後米軍の戦闘機は飛び続け、米兵の犯罪は繰り返された。そのたびに沖縄の人々の心は、深く傷ついていった。
2012-08-12 22:52:17#ETV 特集。6月23日、慰霊の日。犠牲者の名前が刻まれた「平和の礎(いしじ)」。その名前に触れながら、亡くなった家族を偲ぶ。伊江島の平安山ヒロ子さん。平和の礎には10年以上足を運べていない。思い出したくない、しかし忘れたくない記憶に、この日向き合う。
2012-08-12 22:53:42#ETV 特集。ヒロ子さんが取り出したのは、平和の礎から鉛筆で透かし写した妹と父親の名前の紙。「妹が生きている感じで見ている。一緒にいるという感じ」親類の家に向かう際に通る坂道。その奥に、妹を見捨てた場所がある。「いつも通る時は、見たいけど見たくないと思ったり」
2012-08-12 22:55:44#ETV 特集。ヒロ子さん「見たいけど見たくないというこの気持は、ちょっと説明できない。どうしても忘れることは…一生この傷を背負って、妹と父に会いに行く。60年70年経っても、何を忘れてもこれは忘れられない。一生の苦しみ」これからもこの、妹を見捨てた島で生きていく。
2012-08-12 22:57:10#ETV 特集。凄惨な地上戦の記憶。戦後も沖縄に残った基地。いつになったら心の傷が癒える日がくるのか。67年が経った今も、その答えは見つかっていない。
2012-08-12 22:58:13