「行間を読む」ということ
- marianna_ave
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きのう非常に面白かったリプは、私の「行間を読むっていうことは書かれていないことを想像するということですから、すなわち読者の空想です。」というツイートに対して、「行間を読むのが面白いのに」というようなコメント。
2012-08-20 09:35:44これの何が面白いのか。私は行間を読むことがつまらないとか面白くないとかするべきでないとか全く書いていないのです。そして、事実として、私はいわゆる「行間を読む」ことをしばしば意識的にしますし、それを楽しんでもいます。
2012-08-20 09:38:27件のリプを投げた方の行間を読んで気持ちを想像してみるに、ご本人が普段楽しまれているところの「行間を読む」という行為について、私の最初のツイートが否定なり批判なりをしていると、行間を読んで(笑)考え、それに異議を唱えたのではなかろうか、と空想できます。
2012-08-20 09:40:26読んだつもりになっている行間というのは読者の空想である、という私の言葉には、「したがって事実ではないかもしれない」と続けることが出来ます。この方は行間を読むことの面白さを訴えた行為によって、空想であり事実ではなかったという例を提供してくださいました。
2012-08-20 09:42:13だから行間を読むなとは私は言いません。繰り返しますが私自身も行間を読むことを楽しむ者です。しかし、書かれていないことは考えられていないかもしれないということ、読者の想像力には限界があることから、それが空想であり事実でないかもしれないということは知っておくとよいだろうと思います。
2012-08-20 09:45:19(自分が書いたものがわかりづらいかもしれないという反省は必要だとしても)相手が書いてもいないことを読んでしまう人は一定数いる。それは「そう書いていないよ」「そうでしたか失礼しました」ですむ話ですが、なかなかそう単純にはすまない。自分の感情の置き所を作るのが下手だから。
2012-08-20 10:17:28自分が嫌いな言葉を相手が使っているだけで、相手の書いている文章全体がまったく把握できなくなる人もいるようです。相手に言い換えてもらうことで対処は可能だけれど、気をつけていないと同じ理由であちこちで衝突する。
2012-08-20 10:33:19