- rockets_yamada
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俳句における「かな」についてブログに書こうと思ったんだけど、じぶんには到底手に負えない問題だと気が付いたので、ここにつぶやいてみようかな。 #kana
2010-07-18 14:07:14しかし、逆に言えば「かな」には、いかにも俳句らしくまとまってしまうからこそ、実は、内容のない句、端的に言えばつまらない句でも「かな」で終わることでそれなりの句に見せてしまう”水増し機能”があるのではないか。「赤きまま土に埋めたる金魚かな 山田露結」 #kana
2010-07-18 14:09:22俳句らしい側物的把握でありながらの叙情、気分のよい句ではある。しかし、この句の「かな」は蛇足である。「かな」のない「赤きまま土に埋めたる金魚」で。必要にして十分ではないか。(「かな」考」彌榮浩樹 銀化2009年11月号) #kana
2010-07-18 14:10:12「たましひのたとへば秋のほたるかな 飯田蛇笏」、「階段がなくて海鼠の日暮かな 橋間石」。「かな」は俳句風のフレーバーを添えるためのトッピングではない。俳句が俳句であることの核心のひとつ、なのだ。(「かな」考」彌榮浩樹 銀化2009年11月号) #kana
2010-07-18 14:11:57正直、「目からウロコ」だった。今まで「かな」についてさほど考えをめぐらせたことなどなかった。それが、ここではオレの句を引用して書かれていたのだからなおさら「かな」について考えざるを得なかった。 #kana
2010-07-18 14:13:44そんな思いで俳句で使われている「かな」を眺めてみると、実にほとんどの句において「かな」が不要なのではないかという気もしてくる。 #kana
2010-07-18 14:14:43むー、そうなんだろうか。というかこの句の場合、「紫陽花の外面を剪る垣根」では意味がつかみにくい気がする。「かな」まで読み終えることによってはじめて景色が立ち上がってくるように思える。 #kana
2010-07-18 15:43:30少なくとも「遠山に日の当たりたる枯野(かな) 高濱虚子」、「をとりてはらりとおもきすすき(かな) 飯田蛇笏」、「漂へる手袋のある運河(かな) 高野素十」といった句の「かな」とは使われ方が違うのではないだろうか。 #kana
2010-07-18 15:45:21かな【哉】(奈良時代の「かも」にかわり平安時代から例の見える語)体言および活用後の連体形に付く終助詞。詠嘆の意を表す。…だなあ。・・・ものだなあ。(広辞苑) #kana
2010-07-18 15:48:01音としてはこれも同じ→ か-な (疑問の助詞「か」に詠嘆の助詞「な」の付いた語)①不確かな点を確かめる意で自問し、あるいは、相手に問いかける語。「煮えたー」「これを知っているー」②(「ないかな」の形で)願望を表す。「何かいいことないー」 #kana
2010-07-18 15:49:48