茂木健一郎氏 @kenichiromogi 【外国のことの、正しい語り方】連続ツイート
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連続ツイート第706回をお送りします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、昨日街を歩いていて、ふとあたまをよぎったこと!
2012-09-05 06:50:07がた(1)昨日、仕事の移動のさなかに街をあるいていて、Asia Centerというのが目についた。Asian Centerとどっちがいいんだろう、と思った。どっちでもいいや、と思った。あとで調べてみると、用例としてはどちらもある。些細なことだが、それで思い出したことがあった。
2012-09-05 06:51:27がた(2)ぼくは「ネイティヴ」という言葉や概念が嫌いだが、仮にそれを認めたとして、英語が母語ではない人が「間違った」表現をつかった時に、それを鬼の首をとったように指摘する、そんな態度は本当にイヤだなと思う。そんなことと、その表現の吸引力は関係がないのだから。
2012-09-05 06:53:37がた(3)逆にして考えるとわかりやすい。日本人は、日本語を外国人がしゃべったとして、しゃべることだけで偉い、と思うし、その表現に少々違いがあったとしても、「優越感」に浸って訂正しよう、なんて思わない。なんて奥ゆかしいんだろう。英語「ネイティヴ」の傲慢さは、一つの病気だ。
2012-09-05 06:55:05がた(4)英語ネイティヴ病には、亜種もあって、日本人が、日本人の英語の表現を、あれこれと文句をつける。これは、特に、英語圏にいて向こうに取り込んでもらおうと思っている人に固有の症状で、勝手に代理を名乗り出ているようなもの。言葉なんてもっと多様でいいし、おおらかでいい。
2012-09-05 06:56:25がた(5)代理と言えば、「出羽の守」というのもいる。「アメリカでは」「ヨーロッパでは」と何かというと「ではでは」と言う人。ビールの乾杯のときに「ではでは」と言うのではない。もっとも、比較は大切だから、正しい「では」と、正しくない「出羽の守」がいるのだろう。
2012-09-05 06:58:04がた(6)正しくない「出羽の守」は、結局、それで自分が優位に立とうとしていいるのがズルいのだろう。「○○では」と言うことで、自分は「○○」の事情に通じている、そちらに近い、と匂わせて、聞く者に怖れと劣等感と混乱をもたらす。結局、自分が威張りたいだけだったりする。
2012-09-05 07:00:22がた(7)一方、正しい「では」と言えば、何よりも愛からスタートしなければならないだろう。教育のあり方にせよ、文化にせよ、こんなに素晴らしいものが実際にある、という愛。自分を優位にしようなどという計算はみじんもなく、むしろ、自分という存在がなんなのかさえわからず震えている。
2012-09-05 07:01:39がた(8)自分が「○○に近い」と匂わせて威張る「出羽の守」は要らないが、愛のある「では」はもっともっと必要だと思う。最近、日本は韓国や中国をライバル視しているが、それも、日本の国力が落ちたから。向こうにある偏狭なナショナリズムをマネするより、国力を上げることが肝心だ。
2012-09-05 07:03:04がた(9)正しくない「出羽の守」と愛のある「では」の違いは、本質を見ているかどうか。「出羽の守」は、本当は、ドメスティックな社会での人間関係ばかり気にしている。愛のある「では」は、つまりはプラトン主義者だ。日本には「では」がもっと必要だが、「出羽の守」との混同を避けねばならぬ。
2012-09-05 07:04:36