吉田健一『交友録』(講談社学術文庫)より文章家と小説についての引用

現在放送中のNHKの土曜ドラマ「負けて、勝つ」http://www.nhk.or.jp/dodra/dodrasp/index.htmlにも登場した、元首相・吉田茂の長男健一(1912-1977)は英国で文学を学んだ文筆家でした。彼の『交友録』(元本=新潮社、昭和49=1974年)の石川淳の項からわたしが自分用につぶやいた部分をとうぎゃざしました。本文中では「石若順」になってしまいましたが、誤字です。すみません。 今でも通用する部分じゃないかと思います。みなさんはどう思われるでしょうか。
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ぱぐ @11/12〜26大相撲九州場所 @pa55gu

吉田健一『交友録』(講談社文芸文庫、元本=新潮社、1974年)を読んでるんですが、その中の石若順について書いてあるところから。【文章家というのは文章が書ける人間のことを言うのでその文章家が小説を書くのは奇妙なことにも思える。】(つづく)

2012-09-11 21:14:27
ぱぐ @11/12〜26大相撲九州場所 @pa55gu

吉田健一『交友録』(講談社文芸文庫)より続き。【どうして自分の考えに言葉の形を取らせるのに苦労して架空の人物や事件を案出した上でこれに託してそれをしなければならないのか。そういう遊びも許されるということの他に文章が書けないものにも小説は書けるということがある。】つづく。

2012-09-11 21:20:04
ぱぐ @11/12〜26大相撲九州場所 @pa55gu

吉田健一『交友録』(講談社文芸文庫)より続き。【少なくとも今日では文章が書けないものにも書けるのが小説であるということになっていてそういうものが持て囃されるのはこれこそ奇妙な話であるが、(つづく。長すぎて1つのツイに一文が入らない!(^^;)】

2012-09-11 21:24:26
ぱぐ @11/12〜26大相撲九州場所 @pa55gu

吉田健一『交友録』(講談社文芸文庫)続き。【(前文の続き)……それが書けるのは言葉の使い方を殆ど知らなくても何かと事件を作り上げてその筋を語ることは出来るということに帰着する。それならば文章家は小説を書くのに何をするかと言うと人物と事件を作るのに文章の技術を楽しみ、(つづく)】

2012-09-11 21:27:39
ぱぐ @11/12〜26大相撲九州場所 @pa55gu

吉田健一『交友録』(講談社文芸文庫)続き。【(前文の続き)……そうするだけでも小説で今日通っているものよりも小説であることを知っている。併しどうかすると人物と作者の呼吸が合い、(つづく)】

2012-09-11 21:30:48
ぱぐ @11/12〜26大相撲九州場所 @pa55gu

吉田健一『交友録』(講談社文芸文庫)続き。【(前文の続き)……その行動を語ることがその世界に作者自身が遊ぶのが文章の世界で常に起こることと同じになる場合も生じ、その時に文章家は小説家でもある】終。長くて句読点が切り詰めてあってツイだと引用しにくい!とうぎゃざします、自分用に。

2012-09-11 21:32:36