イザヤ・ベンダサンbotまとめ/「人間の純度」に基づく流動的アパルトヘイトの国にっぽん/~日本教の教義を意識しないが故に囚われ、その不自由さを全く感知できない”自由な”日本人~

イザヤ・ベンダサン著『日本教について』より抜粋引用。
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イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

①【5・15事件と純粋人間】日本の新聞・雑誌を見ていますと、繰り返し繰り返し、実に執拗なまでに絶えず強調されている言葉があります。それは「まず、人間であれ」という主張です。<『日本教について』

2012-09-19 16:58:48
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

②「教師である前に人間であれ」「政治家である前に人間であれ」…「あの人はクリスチャンとしては立派だが、人間としては尊敬できない」といういい方もあり、さらに「父親である前に人間であれ」という言葉まであります。

2012-09-19 17:58:48
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

③この「人間であれ」とは何を主張しているのでしょう。一言にしていえば、「まず、日本教徒であれ」ということで、いい換えれば「日本教の教義(人間規定)に忠実であれ」ということなのです。

2012-09-19 18:58:49
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

④こういう主張は、いずれの場合であれ、宗教的ドグマの一方的主張であって理論ではありません。…日本のアパートの台所で犬や蛇を裂いて料理をしている現場を発見されれば、必ず追い出されます。

2012-09-19 19:58:51
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑤…日本人は「日本教には日本人の食物規定があり、それに違反しているから居住を許すことができない」とは考えずに「蛇や犬!そんなものは人間の食べるもんじゃない」といいます。

2012-09-19 20:58:52
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑥…この場合の人間とは日本教徒の意味であって「蛇や犬は(日本教の食物規定に触れるから)日本教徒の食べるべきものではない」という意味です。したがって、…日本人が「人間を尊重せよ」といっても、これをヒューマニズムの意味にとってはいけません。

2012-09-19 21:58:52
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑦従って「人間を尊重せよ」と叫びつつ、人間に暴行を加えることもできるわけです。この場合…の「人間」とは日本教の教義の人間規定の意味ですから。

2012-09-19 22:58:51
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑧日本人は、ものごころのつくころから、食物規定から思考の型に至るまで「われわれ人間(=日本教徒。この場合も『私』ではない)はいかにあるべきか」について一貫した徹底した教育をごく自然に受けており、前述のように新聞・雑誌等もまた常にこれを強調し続けています。

2012-09-19 23:58:52
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑨大部分の日本人は実質的には外国人と接することなく、または多少接しても、日常生活を共にする隣人として、外国人に立ち混じって生涯共に生活することはありません。

2012-09-20 00:58:33
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑩…そして自分たちの「考え方の型」が日本語と日本教の教義という実に強力な枠にはめこまれていて、この枠から出て「自由」にかんがえることは不可能に近いことだなどとは、夢にも考えられないのです。

2012-09-20 01:58:37
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑪従って、自分たちが自由でないと意識しないという点では、日本人は戦前戦後を問わず実に自由な民族であり、この点、この教義の枠は実に牢固であって、その前には法律といえども無力になってしまいます。

2012-09-20 02:58:32
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑫日本人はその「食物規定」同様に、実に強固な思考の型にはめこまれて、それ以外の考え方はできない。…それが全くできないが故に「自由」に考えていると信じ込んでいるわけで、自分たちには「食物規定」はなく、何でも自由に食べていると信じ込んでいると同じです。

2012-09-20 03:58:36
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑬日本人は、自らの教義が存在するという自覚さえ持ち得ないまでに、その教義が徹底的に浸透している民族なのです。従って法の前に教義があります。

2012-09-20 04:58:34
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑭裁判がどんな形式で行われようと、裁判官は「裁判官である前に人間(日本教徒)であれ」であり、検事も、弁護人も被告も一般大衆もすべてそうですから、まず、日本教の教義の「人間規定」が優先するのは当然です。

2012-09-20 05:58:34
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑮そこでまず、教義の第二条「人間の価値は支点の位置によって決まる」が取り上げられ、被告の支点の位置はどこか、すなわちその純粋度をどれだけと認定すべきか…が決定的な問題となるのです。…この純度が決定した後に、はじめて法が適用されるわけです…。

2012-09-20 06:58:35
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑯それ故私は、日本は徹底した差別の国だと思っております。ただこの差別は、必ずしも皮膚の色とか人種・民族によるのでなく、日本教の教義に基づく「人間の純度」という不思議な尺度に基づく差別なのです。

2012-09-20 07:58:36
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑰ただこの差別は「純度」の認定によって絶えず変化しますから「人間の純度による流動的アパルトヘイトの国」と規定してよいと思います。

2012-09-20 08:58:50
イザヤ・ベンダサンbot @Isaiah_BenDasan

⑱それゆえこの「純粋人」と認定された被告に対しては、その行為[5・15事件での犬養首相暗殺の例]がどれだけ卑劣であろうと、35万通もの減刑嘆願書が寄せられるわけです。この点はもちろん戦後も変わりません。変わったのはただ「純度表」の表現だけです。~後略

2012-09-20 09:58:52