【五・一五事件と純粋人間①】他民族の食物規定を嘲笑する日本人/~日本教の強固な教義の枠を意識しないが故に囚われ、その不自由さを全く感知できない”自由な”日本人~

イザヤ・ベンダサン『日本教について~あるユダヤ人への手紙~』/五・一五事件と純粋人間/日本教の食物規定/71頁以降より抜粋引用。
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山本七平bot @yamamoto7hei

①【五・一五事件と純粋人間/日本教の食物規定】日本の新聞・雑誌を見ていますと、繰り返し繰り返し、実に執拗なまでに絶えず強調されている言葉があります。 それは「まず、人間であれ」という主張です。<『日本教について』

2016-04-23 23:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

②「教師である前に人間であれ」「政治家である前に人間であれ」「裁判官である前に人間であれ」…に始まり「宗教家である前に人間であれ」と続き…「あの人はクリスチャンとしては立派だが、人間としては尊敬できない」といういい方もあり、更に「父親である前に人間であれ」という言葉まであります。

2016-04-24 08:09:08
山本七平bot @yamamoto7hei

③この「人間であれ」という言葉は何を主張しているのでしょう。 一言にしていえば「まず、日本教徒であれ」ということで、いい変えれば「日本教の教義(人間規定)に忠実であれ」ということなのです。

2016-04-24 08:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

④こういう主張は、いずれの場合であれ、宗教的ドグマの一方的な主張であって理論ではありませんから、その内容は、実例をあげて説明する以外に方法がない面もあります。

2016-04-24 09:09:16
山本七平bot @yamamoto7hei

⑤そしてこういう面が、実は、最も決定的な主張なのですから、ローマの諺「味と色について論じるなかれ」に従って、まず、議論の対象とはなりえない「日本教の食物規定」を取り上げてみましょう。

2016-04-24 09:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑥面白いことに日本人は、日本には食物規定は皆無で、みなが全く自由に何でも食べてよいのだと心から信じておりますので、ユダヤ教のみならず、他の宗教の食物規定も嘲笑的な態度で取り扱います。

2016-04-24 10:09:10
山本七平bot @yamamoto7hei

⑦…永井清彦氏…がイスラエルに関するルポを載せました(…他民族を理解する事がいかに難しいかを立証しているという点で非常に面白い論文です)が、この中で彼は、我々は(「私は」ではありません)自由に何でも食べているのに、イスラエルにはこんな非常識な食物規定があるといった記述があります。

2016-04-24 10:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑧記述の中の小さな誤りは、この場合、問題ではありません。 問題は彼が、自分たちは「何でも自由に食べている」と心から信じ込んでおり、日本教には日本教の食物規定があるなどとは夢にも考えていないことです。

2016-04-24 11:09:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑨日本人は中国人の影響を強く受けたといわれますが、中国人の食べる犬や蛇、或いは猿ははっきりと日本教の食物禁忌に入ります。 勿論どこの国にも食物規定を破る人間はおり…日本人もこの点では例外ではありませんが、上記のものが公式の正餐や日常の家庭料理に登場する事はありえません。

2016-04-24 11:38:51
山本七平bot @yamamoto7hei

⑩…晩餐会にこれらの料理が出る事はありませんし…アパートの台所で犬や蛇を裂いて料理をしている現場を発見されれば必ず追い出されます。その際、契約書を示して犬料理・蛇料理をしてはならないという条項はないし、またこの料理によって隣人に迷惑をかけた覚えもない、といって抗弁しても無効です。

2016-04-24 12:09:06
山本七平bot @yamamoto7hei

⑪しかしこの際にも、日本人は 「日本教には日本教の食物規定があり、それに違反しているから居住を許すことはできない」 とは考えずに、 「蛇や犬!そんなものは人間の食べるもんじゃない」 といいます。

2016-04-24 12:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑫では「そんなもの」を食べている中国人を、日本人は、人間とは見なしていないのかというと、そうではないのです…。 この場合の人間とは日本教徒の意味であって、 「蛇や犬は、(日本教の食物規定にふれるから)日本教徒の食べるべきものではない」 という意味です。

2016-04-24 13:09:07
山本七平bot @yamamoto7hei

⑬従って日本人が「人間」といった場合、これを、ギリシャ人の「汝、人間たることを銘記せよ」の「人間」と同義と考えてはいけませんし、日本人が「人間を尊重せよ」といっても、これをヒューマニズムの意味にとってはいけません。

2016-04-24 13:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑭従って「人間を尊重せよ」と叫びつつ、人間に暴行を加えることもできるわけです。 この場合は前の「人間」とは日本教の教義の人間規定の意味ですから。 以上の食物規定は、日本教のさまざまの規定のほんの一例にすぎません。

2016-04-24 14:09:12
山本七平bot @yamamoto7hei

⑮日本人は、物心のつく頃から、食物規定から思考の型に至るまで 「われわれ人間(=日本教徒。この場合も『私』ではない)はいかにあるべきか」 について一貫した徹底的な教育をごく自然に受けており、前述のように新聞・雑誌等もまた常にこれを強調しつづけています。

2016-04-24 14:38:53
山本七平bot @yamamoto7hei

⑯その上、大部分の日本人は実質的には外国人と接することなく、また多少は接触しても、日常の生活を共にする隣人として、外国人に立ち混って生涯共に生活することはありませんから、(続

2016-04-24 15:09:04
山本七平bot @yamamoto7hei

⑰続>前記の…永井清彦氏が「私は」といわず何の疑いもなく 「われわれは何でも自由に食べているのに…」 と書いたように、いかなる事についても 「われわれは全く自由に考えている」 と信じて少しも疑わず、他民族がその宗教的伝統に則してしか考えられない事を嘲笑的に批評します。

2016-04-24 15:38:52
山本七平bot @yamamoto7hei

⑱そして自分たちの「考え方の型」が日本語と日本教の教義という実に強力な枠にはめこまれていて、この枠から出て「自由」に考えることは不可能に近いことだなどとは、夢にも考えられないのです。

2016-04-24 16:09:08
山本七平bot @yamamoto7hei

⑲従って、自分たちが自由でないと意識しないという点では、日本人は戦前戦後を問わず実に自由な民族であり、この点、この教義の枠は実に牢固であって、その前には法律といえども無力になってしまいます。

2016-04-24 16:38:51