10周年のSPコンテンツ!

音楽誌「ERIS」をめぐる高橋健太郎氏と竹場元彦氏の論争のまとめ

新創刊された音楽雑誌「ERIS」(WEB版は無料 http://eris.jp/ )をめぐる、編集長高橋健太郎氏と竹場元彦氏のやりとりをとりあえず時系列にまとめました。
音楽 高橋健太郎 eris 安富歩
30
竹場元彦 @tingtong115
電子雑誌ERIS創刊号を読む。というよりも斜め見る。高橋健太郎編集の音楽誌ということだけど、とりあえず、ボクには面白くも何ともない。どうして誰も、いま東京で日常的に活動しているミュージシャンたちを書かないでいられるんだろう?
kentarotakahashi @kentarotakahash
面白くないのは仕方ないけれど、「いま東京で日常的に活動しているミュージシャン」は僕の原稿にも沢山出てくるし、磯部さんの原稿などは 、「ニッポンのラップ」についての論考だし?>どうして誰も、いま東京で日常的に活動しているミュージシャンたちを書かないでいられるんだろう?
kentarotakahashi @kentarotakahash
ジム・オルークも「いま東京で日常的に活動しているミュージシャン」ですね、思えば。
竹場元彦 @tingtong115
キホン「暢気な洋楽フォロワー」というスタンスに変わりないと読めます。国内のインディーズをちゃんと聴いているなら、いまさらビーチボーイズなんぞについてだらだらと蘊蓄を足れていないで、もっと真正面から彼らの生に対峙「せざるを得ない」かと。RT @kentarotakahash
竹場元彦 @tingtong115
あっ、磯部さんの「ニッポンのラップ」は確かにちょっと興味深かったけど、書き手のリアリティがまるで無いから、やはり面白くはない。RT @kentarotakahash 磯部さんの原稿などは 、「ニッポンのラップ」についての論考だし?
竹場元彦 @tingtong115
裁判ではないので、そんなアリバイ工作は無用です。自分が面白いと思って聴いているインディーズのミュージシャンを正面から取り上げ無いことが不思議なだけです。 RT @kentarotakahash ジム・オルークも「いま東京で日常的に活動している・・・
kentarotakahashi @kentarotakahash
貴方が面白いと思っている「いま東京で日常的に活動しているミュージシャン」の話だったんですね。QT @tingtong115 裁判ではないので、そんなアリバイ工作は無用です。自分が面白いと思って聴いているインディーズのミュージシャンを正面から取り上げ無いことが不思議なだけです。
kentarotakahashi @kentarotakahash
それは取り上げられなくて当たり前だ。
竹場元彦 @tingtong115
いいえ、執筆者が、です。この場合、高橋健太郎さん、あなたのことです。RT @kentarotakahash 貴方が面白いと思っている「いま東京で日常的に活動しているミュージシャン」の話だったんですね。
kentarotakahashi @kentarotakahash
だいたい、あれを聞いているかどうか、とかいう話には興味はない。今だったら、あれを聞いてなきゃ、あれを取り上げなきゃ、とかいう話から最も遠いところで作った音楽雑誌が「エリス」なのだ。
kentarotakahashi @kentarotakahash
編集長である僕は執筆者を選ぶ。執筆者がどんな音楽を取り上げるかについては、一切、口出しはしない。表紙には登場するミュージシャンの名前など並べない。執筆者の名前だけを置く。
kentarotakahashi @kentarotakahash
意味不明。僕は東京のミュージシャンに特に興味がある訳ではないし。 QT @tingtong115 いいえ、執筆者が、です。この場合、高橋健太郎さん、のことです。RT @kentarotakahash 貴方が面白いと思っている「いま東京で日常的に活動しているミュージシャン」なのね
竹場元彦 @tingtong115
勘違いさせたなら申し訳ない。あなたは自分で、インディーズばかり聴いている、と言いながら延々とビーチボーイズの話を書いている。それが不思議だと言っているだけですよ。RT @kentarotakahash
kentarotakahashi @kentarotakahash
東京でミュージシャンとして活動することなら興味あるが。
kentarotakahashi @kentarotakahash
貴方、僕の原稿を読んでいないね。 QT @tingtong115 勘違いさせたなら申し訳ない。あなたは自分で、インディーズばかり聴いている、と言いながら延々とビーチボーイズの話を書いている。それが不思議だと言っているだけですよ
kentarotakahashi @kentarotakahash
北中正和さんの連載は、聞くことができない音楽についてのものだ。僕は聞くことができない音楽に、とても興味がある(「音盤時代の本の本」にもそのことを書いた)。
竹場元彦 @tingtong115
読みましたよ。正確に言えば、どのアーチストに限らず、あなたは音楽のことは語っていない。音楽の流通にまつわるギョウカイジン的な蘊蓄を語っているだけで、リスナーとしてのリアリティはまるで無い。そういう雑誌にしたかったのなら仕方ないですけどね。RT @kentarotakahash
kentarotakahashi @kentarotakahash
どんどん話がずれていくね。インディーズのミュージシャンを取り上げていないって話じゃなかったの? QT @tingtong115 読みましたよ。正確に言えば、どのアーチストに限らず、あなたは音楽のことは語っていない。音楽の流通にまつわるギョウカイジン的な蘊蓄を語っているだけで
kentarotakahashi @kentarotakahash
さて、「リスナーとしてのリアリティーが感じられる〜音楽のことを語った」文章ってのは、どういうものなんだろう? @tingtong115
竹場元彦 @tingtong115
リスナーとしてのリアリティのある記事が無いから面白くない。という話ですよ。RT @kentarotakahash インディーズのミュージシャンを取り上げていないって話じゃなかったの?
kentarotakahashi @kentarotakahash
僕は最も尊敬するリスナー達を執筆者にを選んだ。が、貴方が興味のある音楽は、誰も取り上げなかったということだろう。 QT @tingtong115 リスナーとしてのリアリティのある記事が無いから面白くない。という話ですよ。
竹場元彦 @tingtong115
はずれ。たとえば、ジョニ・ミッチェルが「ブルー」を歌うとき、そこには彼女自身がいる。それがリアリティ。つまり、そこに執筆者自身がいる、と感じられるのが文章としてのクォリティ。RT @kentarotakahash 貴方が興味のある音楽は、誰も取り上げなかったということだろう。
kentarotakahashi @kentarotakahash
ジョニ・ミッチェルにもそう感じない人はいるよ? QT @tingtong115 ジョニ・ミッチェルが「ブルー」を歌うとき、そこには彼女自身がいる。それがリアリティ。つまり、そこに執筆者自身がいる、と感じられるのが文章としてのクォリティ。
kentarotakahashi @kentarotakahash
「いまさらビーチボーイズなんぞについてだらだらと蘊蓄を」なんて言ってくる人が、何を例に出すかと思ったら、70年代のジョニ・ミッチェルか。
竹場元彦 @tingtong115
もちろん。だけど、少なくない人がそう感じたからこそ、彼女は宝物になった。一方、誰にもそう感じさせない音楽もある(というかほとんどの商業音楽がそう)。文章も同じこと。RT @kentarotakahash ジョニ・ミッチェルにもそう感じない人はいるよ?
残りを読む(174)

コメント

kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月8日
"ロッキンオンもいまではロキノンと呼ばれ、「自分語り」がそのスタイルということらしいが、そういう時代になってからのことはまるで知らない"と言った後の怒濤の自分語りに驚愕。チャーミングな人ですね。
あぶさん @absolute_empty 2012年10月8日
個人的にかつて音楽評論家(選曲家)渋谷陽一氏には強い影響を受けた。渋谷氏自身は「自分語り」の人ではないと思うが彼の雑誌(彼が編集長の頃はあまり知らないが)がなぜ「ロキノン」になってしまったのか?少し興味がある。小説が私小説化してしまうような日本的な傾向なんだろうか?
ciboluck @cibolack 2012年10月8日
会話するときには文学的表現を使わないほうが良いと思いました
野間易通 @kdxn 2012年10月8日
確固たる「ロキノン道」のようなものを感じました。90年代以降にそれが確立する背景には、実は長い長い闘いと革命の積み重ねによる洗練があったのだなと(笑) 一種の古武道?
竹内正太郎 @johnnys_pants 2012年10月8日
ツラくて最後まで読めなかった。これが音楽言論周りの最新のバズと思うと涙が・・・。人に意見を言う時はちゃんと意見をまとめてからにしようと思いました。
Hi-Hi-Whoopee @HIHIWHOOPEE 2012年10月9日
ロキノンを一度も読んだことが無いのだけれども、こんな感じのライターが多いならばこれからも読まなくていいなと思った。
シェンロン @shen1oong 2012年10月9日
要約「なんか、ロックじゃねえんだよな」
ィヨシナリジュン @jun7704 2012年10月10日
義憤に駆られ勢いでまとめたものの、ロキノンという偏見(まあおおかた正しいのだろうが)のもと紋切り型の構図を確認されるだけに終わってしまったのが残念というか、材料が材料だからしかたないというか。ところでこのまとめを目にしたのべ15000人のうち何人がERISを「ちゃんと」読んだだろうか。竹場氏を笑えないぜ。
POP-ID @POP_ID 2012年10月10日
「僕は救われたかったんだ。」小沢健二    本人「そんなこと一言も言ってないから訂正してくれ。」なんてエピソードを思い出しつつ傍観。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月12日
注:「それは僕の(主たる)興味が音楽にあるからです。音楽家にではない」&「(人間に)興味がないとは言ってませんよ。音楽家の伝記を読むこともあり」ということね。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月12日
出来る。もちろん、音楽でも。> 確かに、「表現」自体から、そこに表された「思想内容、感情」が語れるなら、必ずしも「表現者」を語る必要は無い。しかし「料理」や「服」でそれが出来るんだろうか?
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月12日
世の中には、詠み人知らずの歌もある。表現者を抜きに表現を語れないというような人は、詠み人知らずの歌を前にした時は、沈黙するしかないのだろう。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月12日
誰ですか、それ>「表現者を抜きに表現を語れないというような人」。僕は『「表現」自体から、そこに表された「思想内容、感情」が語れるなら、必ずしも「表現者」を語る必要は無い。』と言ってるんだし、そこは同感ですよ。というか、ここでまでやるんですか?だんだん痺れてきましたよ!
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月12日
↑ 必ずしもそうではない(例外もある)、と言えば、反論になる、と考える癖は、指摘しても抜けないようだ。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月12日
(あっ、やるのねw いいですけど)えー? それでいて「それは僕の興味が音楽にあるからです。」に後から「(主たる)」を付け加えるのはありなんですか? 何そのホーム(セルフ)ジャッジ。まあつまらない揚げ足取りはやめて、ポイントはずばりここ→「では、ERISでは音楽を表現として語れているのか?」
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月12日
高橋健太郎は、ERISの冒頭の記事(新雑誌の、冒頭の、いわば象徴的な位置を占める編集長自らの記事)において言及しているBryan Wilsonの音楽、SOURの音楽、a banda mais bonita da cidadeの音楽、beirutの音楽を「表現」として語っているのか? 「新しいメディア戦略」の例、面白いビデオとして「紹介」しているだけで、音楽そのものについては何も語っていないと思うんですけどね。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月12日
もちろん、他の執筆者はいざ知らず、高橋健太郎にはそれを語る力は十分にある。いままで書かれたものを読めば、そのことには疑問の余地がない。だのに、何故(敢えて)そうしないのか?しかも、新雑誌の、冒頭で。それでいて「料理だって表現として語れる」と主張する。何を考えているんだかよく分かりません。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月12日
「XXXに興味がある」というのはそういうこと。興味の傾向性を語っているのであって、その他のことに全く興味がない、ということではないのは自明。(が、じゃない人がいるようなので「主たる」で説明差しあげた。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月12日
「(Bryan Wilson、SOUR、a banda mais bonita da cidade)の音楽そのものについては何も語っていない」←それはそういう選択をしたから。原稿を書くのにはいろんなアプローチがある。僕は原稿毎に違うアプローチをする。それだけ。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月12日
しかし、あの原稿を「面白いビデオを紹介」としか読めないとは。まあ、そういう楽しみ方をする人がいても良いけれどね。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月12日
音楽を語る時には、楽理から攻めたっていいし、音響面から攻めてもいい。歌詞から攻めてもいいし、メディア論やビジネス論から攻めたっていい。もちろん、音楽家を語ったっていいし、私小説書いたっていいよ。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月12日
僕は全部やる。違うアプローチがないか、常に探している。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月12日
「興味の傾向性を語っているのであって、その他のことに全く興味がない、ということではないのは自明。」とのことですが、実際は「それは僕の興味が音楽にあるからです。」に「音楽家にではない。」と続けているんですから。それじゃあ僕が言った「必ずしもそうではない(例外もある)」に限りなく近いように思いますけどね。(ああ、これは非本質的な論点と分かっていても反論せずにはいられない・・・)
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月12日
「それはそういう選択をしたから。原稿を書くのにはいろんなアプローチがある。僕は原稿毎に違うアプローチをする。それだけ。」なるほど。その選択の理由が知りたい気もしますが、とにかく、新雑誌の、冒頭の、象徴的な、編集長自らの記事で、わざわざ「音楽を表現として扱わない」アプローチを選択した、と。それを読んだ僕は『この雑誌は音楽を表現として扱わず、ただ「消費するのに面白いもの」を紹介する音楽生活情報誌だ』と考え、「何故音楽を表現として扱おうと思わないのか、つまらん」とつぶやいた。そういうことでしょうか。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月12日
『あの原稿を「面白いビデオを紹介」としか読めないとは。』面白いビデオの紹介としては確かに面白い、だけど、「レコード」の意味の変化、いまやYouTubeが主戦場云々以下の「分析」は底が浅すぎてつまらない。何故か?肝心の、新しいメディア状況で流通する「音楽」を「表現」として捉えていないからだ。結局、そこに行き着く。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月12日
Bryan Wilson、SOUR、a banda mais bonita da cidade、beirut。彼らの音楽はそれぞれに異なった「表現内容」を持っている。従って、彼らにとって、YouTubeの持つ意味はそれぞれに異なったものだ。それを画一的に扱うから、薄っぺらなメディア論にしかならない。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月12日
「音楽を語る時には、楽理から攻めたっていいし、音響面から攻めてもいい。歌詞から攻めてもいいし、メディア論やビジネス論から攻めたっていい。もちろん、音楽家を語ったっていいし、私小説書いたっていいよ。」そのすべてにおいて、音楽を「表現」として扱うのか、それとも「エンターテインメント」として、「消費材」として扱うのか、書き手はその選択を前提として迫られる。
田村淳彦 @AtsuTam 2012年10月12日
2002-6年、ディズニーシーは実に豊かなライブ音楽の場だった。かつて・異国で・大衆が楽しんだ音楽を、その時空間のエッセンスを再現した場で、年齢も趣味も多様な今の日本人に聴かせる。年間パス持ってれば、木戸銭御免の常連なみにどっぷり聴ける・・・この文章、ここまで「表現としての音楽」に触れていないけれど、音楽評論足り得ていないだろうか?
田村淳彦 @AtsuTam 2012年10月12日
この先、演奏された音楽たちに触れることなく、あの公演形態がもたらしたもののみに絞って書き進めていくことは出来る。それは音楽評論足り得ないだろうか。そうかもしれない。でもそれが音楽評論じゃないってことに、なにか意味があるだろうか。
ィヨシナリジュン @jun7704 2012年10月13日
tingtong115 《音楽を「表現」として扱うのか、それとも「エンターテインメント」として、「消費材」として扱うのか》 この発想が前世紀のギョーカイ人的です。まるで音楽家/聴き手にとってみれば音楽を奏でる/聴くことがその三者択一を迫られているよう。元来、音楽について書く/を聴くということはその音楽の面白さを伝えよう/聴こうとして書く/聴くはず。で、ERISにはそれがないと断固として主張する、その読解力のなさと思い込みの強さたるや、あまりにも議論の前提を崩し過ぎです。
ィヨシナリジュン @jun7704 2012年10月13日
tingtong115 そもそも竹場さんはまず、誇らしげに回想している、表現者の思想を掬った(?)「仮想インタヴュー」の片棒を担いだことを総括すべきです。それこそ今でいうと北朝鮮の熱狂的AKBファンが前田敦子卒業について「仮想インタヴュー」をするがごとくの国辱的過去にほかなりません。そしてそれは「ロキノン的」ひとりよがりな妄想の駄文と繋がるのです。そんな過去を総括してからものを仰ってください!
奥田茂雄 @okuchangt 2012年10月13日
総括は穏やかじゃないなあ。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月13日
AtsuTam さん、すみません、僕の言葉が足りませんでした。書き手の「リスナーとしてのリアリティ」、音楽家の「表現者としてのリアリティ」、その緊張関係の中に批評は成立する、と言いたかった。それは、どちらかが(表層的に)0であっても可能だとも思いますが、ERIS冒頭の高橋さんの記事では、その両者ともに欠けていると考えています。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月13日
書き手のリアリティが0でも成立する批評とは、たとえば質問を隠して音楽家の言葉だけを載せたインタヴューのようなものです。しかし、そこにも質問の設定と回答の取捨において、インタヴュワー側のリアリティは(表層的には見えなくても)存在する。もし存在しなければつまらないインタヴューになるだけです。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月13日
jun7704さん、では僕が引いたERIS冒頭の高橋さんの記事で、彼は Bryan Wilson、SOUR、a banda mais bonita da cidade、beirutの音楽の面白さをどのように「聴き・伝えて」いるんでしょうか?それを伝えたものではないことはご本人も認めている。僕の読解力の無さ、頑迷な思い込みから来る偏見とは考えません。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月13日
自分で「誇れる過去ではない」と認識していることははっきり書きました。ですが、それをわざわざ「誇らしげ」と書く jun7704 さんの気持ちを分からないとは言いません。TLを拝見すると僕のことを「どうしようもないバカ」とお考えのようですが、それには思わず頷くほかありません。初めて意見が合いました。僕は高橋健太郎さんのことも「どうしようもないバカ」だと思っています。でなければ、延々とこの「どうしようもないバカ」の相手をするワケが無いんじゃないかな?
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月13日
「架空インタヴュー」が国辱的過去だったとは考えていません。だって、面白かったもん。高橋さんが言う「面白ければいいのだ。」には同感です。そうだ「いいな」押しちゃおう! というか、読んでたんですか?
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月13日
「僕の興味は音楽にある〜音楽家にではない」が僕の立場。それが「人間の内面を表すからこそ「表現」であるのに、その人間には興味が無い」と勝手に拡大されれば、「(人間に)興味はないとは言っていない」となるのは当然。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月13日
「その人間には興味が無い」の人間はあらゆる表現者となる。音楽家に限らない。僕は(あらゆる表現者である)人間には興味がある。が、それは「音楽家」である人間に限らない。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月13日
一方で、僕は「音楽」に興味がある。最も大きな興味を抱いている。その「音楽」への興味から、「音楽家」に興味が向くこともある。しかし、それは「音楽」への興味に先んじない。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月13日
迫っているのは貴方だけだよ。音楽を「表現」として扱おうが、つまらない文章はつまらない。>そのすべてにおいて、音楽を「表現」として扱うのか、それとも「エンターテインメント」として、「消費材」として扱うのか、書き手はその選択を前提として迫られる。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月13日
音楽を「表現」として扱っているかどうかが、面白い/つまらないの判断基準になっている時点で。それは「批評」として次元が低過ぎるということだな。音楽も文章も、そんな型通りの判断が出来ないものだから、奥が深いのだ。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月13日
順番が逆だな。新雑誌の方向性を代表するであろう編集長の冒頭記事を読んでみて、何故面白くないのかの理由を、今回はそこに(表現として扱っていない)に見い出しただけ。もし、それが一般的な価値判断の基準として先に存在するなら、たとえば安富さんのMJ論は「面白い」ということになる。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月13日
面白いものが備えている属性は具体的にいくつか挙げられるかもしれないが、つまらない場合、その理由は様々だ。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月13日
高橋さん自身、「僕達には新しいアートが必要だ。新しいジョークが必要だ。なぜって、もう311以前には戻れないのだから」とつぶやき、新しい表現を求めた。しかし、その後も一向に表現の質的変化が無い実情を見て、「多くの表現者達は、放射能などないこととして、音楽を作ったり、小説を書いたりしているのではないか。その方が、自分が長く培ってきたものを捨てないで済むから。その方が楽だから。」と嘆く。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月13日
さらに続けて、「それがいけない、とは僕には言えない。それもまた尊いことかもしれない、とは思う。」「でも、怠惰の中からは、新しい表現は生まれ得ない。」と言っているではないですか。では、ERISに、その「新しい表現」はあるのか?僕が読む限り、答えはNOだ。だからつまらない。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月13日
高橋さん自身が言う「311以降の新しいアート」は、僕からすれば、僕が言い続けている「いま・ここのリアリティ」と重なる。僕には、高橋さんが自分自身を裏切っているように思えてならない。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月13日
高橋さんは、また、自身の音楽批評家としてのあり方について、「かつては暮しの手帖派だったが批評自体が作品でなければならないとする渋谷陽一派に転向した」とまで言っている。しかし、ERISの記事は高橋さん自身のものを含めてほとんどが「暮らしの手帖派」ではないか。
ィヨシナリジュン @jun7704 2012年10月13日
論語の「人不知而不慍。 不亦君子乎」を安富歩は《他人が知らないからといって、「こいつ、わかっとらん!」などとブチ切れたりしない。これはまったく君子ではないか》と意訳している(『生きるための論語』p24)。この意見交換が続くのはすなわち…。いや、高橋健太郎さんは君子呼ばわりなどされたくないだろうけど。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月13日
? 「そのすべてにおいて、音楽を「表現」として扱うのか、それとも「エンターテインメント」として、「消費材」として扱うのか、書き手はその選択を前提として迫られる」と大前提と認めていたことが、どうして「今回はそこにに見い出しただけ」と後退しちゃうんだ?>順番が逆だな
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月13日
「"今回は"音楽を表現として扱っていない」ところがつまらなかった…ということは、「音楽を「表現」として扱うのか、それとも「エンターテインメント」として、「消費材」として扱うのか、書き手はその選択を前提として迫られる」なんて、どうでも良い前提話だったということだ。どれを選んでも、面白くもなり、つまらなくもなる、と自ら言ってしまっている。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月13日
結局、竹場さんは自分が挙げた「つまらなかった理由」を次々に自分で否定してしまっている訳だ。東京アンダーグラウンドの人達を取り上げる/取り上げないに始まり、音楽を表現として扱う/扱わないに至るまで。どれも判断基準としては、どうでも良いことに自ら後退させた。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月13日
それでも、「つまらなかった」は真実だろう。それは個人の印象判断だから覆されることはない。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月14日
僕がERISが「つまらない」理由として、何度も繰り返し言っているのは「書き手としてのリアリティが無い」ということだが、高橋さんは「取り上げる/取り上げない」だの「表現として扱う/扱わない」と読むのは何故なんだろう? それは「リアリティ」の欠如の原因を探る上で出て来たポイントであって、原則ではなく元より多様性がある。そのパースペクティヴをコンテクストの上で明確に出来ていなかったとすれば、発言者である僕の責任は、もちろんある。にしても?
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月14日
もう一度、いま言いたいことを整理しよう。高橋さんが、自分で「311以降の新しいアートが必要だ」とし、また「批評とはそれ自体が表現作品であるとする渋谷陽一理論に転向した」と言うなら、ERISは『311以降の「いま・ここ」に生きる書き手のリアリティをもった批評作品誌』となってしかるべきなのではないか? (しかし、実際にはほど遠い!) ということに尽きる。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月14日
その上で、もし本当に、そうしたヴィヴィッドな、リアルな、アクチュアルな「批評精神」が編集者や執筆者にあるのなら、(自分の趣味を追求するばかりではなく)「東京で(自分の生活圏で、と言い換えてもいい)いま日常的に活動しているミュージシャンたち」に目を向け、耳を傾けるのは当然のことではないんだろうか。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月14日
今回のERISで、ほとんど唯一、音楽を表現として正面から受け止めている論考が安富さんのマイケル・ジャクソン論だ。そこには聴き手としての誠実さがあり、この論考の評判が良いのは偶然ではないと感じる。個人的には、安富さんの論旨には説得されないが、それはまた別の話。これを面白いとする読者の気持ちはよく分かる。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月14日
それは竹場さんの言う「書き手のリアリティ」という言葉の内実が見えず、空虚な片仮名言葉でしかないから。それこそリアリティーがない。「リアリティ」とは何か? 説明できてないでしょ? あるいは、貴方がここでどれだけリアリティーのある言葉を書いているというのか? 人の評価を見てみたらいい。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月14日
竹場さんが読んでつまらなかったのは仕方ない。そもそも、万人が面白いと思うようなものを作ったとは思っていない。が、竹場さんの求める「しかるべき」、「当然のこと」は、僕には全く意味がない。そんなの別にやりたいことではないから。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月14日
『311以降の「いま・ここ」に生きる書き手のリアリティをもった批評作品誌』が読みたいなら作ればいいのよ。ないものは、他人に求めず、自分で作る。それが僕のやり方だ。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月14日
高橋さん、ではERISが「311以降の新しい表現」足り得ていると、自分ではお考えなんですか?
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月14日
ん〜、「僕らには新しいアートが必要だ。新しいジョークが必要だ」と言ったのは高橋さん自身じゃないですか。それでいて、自分では全然違うものを作っておいて、『僕がやりたかったのはこれです。「新しいアート」ではない。そんなものに興味は無い。それが欲しければ自分で作れば?』と仰ってるように見えますが。それともERISは「新しいアート、新しいジョーク」足り得ていると?
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月14日
いーかげん、人の言葉を好き勝手にくっつけては、こう言っているようだが…とするのはやめたら? そんなこと一度も言っていないでしょ。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月14日
ERISは311以後の新しいアート、新しいジョーク足り得ているか? そんな簡単に答えが出ることを僕達がやっているとは思っていない。そして、評価は付いてくるものです。だから、やりたいことをやり続けるだけ。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月14日
高橋さんは、311以降の他の人たちの表現に対して「多くの表現者達は、放射能などないこととして、音楽を作ったり、小説を書いたりしているのではないか。その方が、自分が長く培ってきたものを捨てないで済むから。その方が楽だから。」と断じていながら、自分の仕事に対しては「そんな簡単に答えが出ることを僕達がやっているとは思っていない。」と言う。さて、これをどう呑み込んだものか?
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月14日
まだ、人の言葉をテキトーにくっつけて、何かを語ろうとすることをやめないのか? ↑のカッコ内には、続けて、「それはそれで尊いことかもしれない」という一文が続いてたのは知ってるだろうに。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月14日
自分の仕事に対して、簡単に評価を口にしないのは当然だ。「エリス」はやりたいことをやった。10/3の時点では持てるものを全て使って、作りたいものを作った満足があった。が、10日以上が過ぎた今の時点では、出来ていないことで頭が一杯だ。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月14日
ただ、「エリス」が放射能などないことのように作られた音楽雑誌だという意見には同意しない。 原発事故がなければ、僕達は「エリス」を作っていない。作る機会すらなかった。そういう雑誌であることは、伝わっている人には伝わっていると思われる。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月14日
知ってますよ。1分後に「でも、怠惰の中からは、新しい表現は生まれ得ない。」と続けていることも。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月15日
311以後も331以前と同じことをやり続けることが「怠惰」なのではないよ。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月15日
『世界がこんなに変わり果ててしまったのに、そのことを見ないようにして、昨日までと同じように歌を歌ったり、文章を書いたりする。それがいけない、とは僕には言えない。それもまた尊いことかもしれない、とは思う。』『でも、怠惰の中からは、新しい表現は生まれ得ない。』『311以後も331以前と同じことをやり続けることが「怠惰」なのではないよ。』はて? だとすると、この「とは思う〜でも」の用法は、僕の理解を超えているな。
kentarotakahashi @kentarotakahash 2012年10月15日
そうでしょう。ホッとしますね。貴方はことごとく文章が読めていない。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月15日
「私は音楽家だ。つまり、何とか聴衆を説得したいと考えている人種だ。」というクリフォード・カーゾンの言葉が思い出されます。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月25日
「ワタシガイテアナタガイル」のか「アナタガイテワタシガイル」のか、それがモンダイだ。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月25日
「ワタシガイテアナタガイル」こと。「ワタシ」の「趣味・興味」を前提として是とすること。「他者」を、その「趣味・興味」の対象として定位させること。それは消費資本主義と表裏一体であって、それが今日の大勢を占める精神的態度であり、誰しもそれらから自由ではないことに間違いはないのかもしれない。
竹場元彦 @tingtong115 2012年10月25日
しかし、それを「痛み」として感じる感性まで失いたくはない。音楽を聴くことが、ついに消費的活動であって、その枠を超えないのであれば、そんなものには一生をかけて夢中になるまでもないだろう。
ログインして広告を非表示にする
ログインして広告を非表示にする