高坂流氏の手による軽物語集・書評

思うさま語っていただきました。感謝多謝。
0
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

はーい。東方軽物語(青猫幻想団・toshi氏著)の書評垂れ流しに20ツイート前後使いまーす。 前もって宣誓しておきまーす。 TL流しごめんなさい!

2012-10-21 01:26:44
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

東方軽物語(著:toshi氏)の書評を書くに辺り、まずこの作品のページ数から語るべきであろう。全720P。驚くべき厚さである。縦に立つ。本が立つ。言ってることがよくわからないかもしれないが、とにかくそれだけの厚さなのである。

2012-10-21 01:27:25
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

当然、読むのには難儀するだろうと思っていた。査読させて頂いた時もkb数を見て呆れた程である。が……その厚さであっても、存外読むのに時間は掛からなかったから面白い。いや、無論その厚さゆえに読むに相応の時間が掛かるのであるが。

2012-10-21 01:27:33
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

まず、序章『蓬莱の人の形と人里の賢者』。慧音と妹紅の出会いが描かれた短編。擦れた妹紅が慧音と戦うのだが、とにかく殴りあいと言うか殴りあいが段々と説教になると言うか。 要は、『昔はヤンチャだったなあはっはっは』に近いのだが、慧音先生。アレは痛い。アレは痛いって。

2012-10-21 01:27:41
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

テンポが良く、と言うより小気味良いやり取りで、さっくり読むことが出来る。気負いなく読むことが出来、ここで掴まれたら読むしかなくなるだろう。 戦闘描写も薄いわけではないので、適度な緊迫感を持つことも出来るのが良いところ。

2012-10-21 01:27:49
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

次は『橋の下の人間のお話』。地底に流れ着いてしまった外の世界の人間、号『文章』と周囲…特にヤマメとパルスィの話が軸となっている。 とにかくヤマメが可愛い。そしてパルスィが綺麗。これに尽きるのだが、彼女たちは『文章』のマイペースさと言うか、感覚に引き付けられてしまうのだろう。

2012-10-21 01:28:02
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

食うなら食えば良い。ただの人間だ。そう言い聞かせているのに、食うことが出来ない。難儀なもので、一度そう思ってしまったら食う気にすらならなくなってしまう。

2012-10-21 01:28:14
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

けれど、人間と妖怪は共にいることは出来ない。地底は良くないもので満たされている。だから、『文章』がずっとそこに居られないのは、きっと最初から解っていたのだ。 そして、『文章』は遂に理解ってしまう。後自分がどれだけ生きる事が出来るかを。

2012-10-21 01:28:16
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

だから、彼は自ら地底を去る。寿命を知った猫のように、親しくなってしまった者の側で命を閉じぬように。それが、どれだけその親しい者を傷付けるかを知って。

2012-10-21 01:28:24
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

この章は、次の『人である為、人である故』への引きなのだが、この引きが優しい。引き方が優しいと言うか。登場するキャラクターが皆優しいと言うべきか。 最も傷口が浅いやり方を選択して行く…けれど、少なからず傷は付く。それが文章中に落とし込まれていて印象に残るのだ。

2012-10-21 01:28:46
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

さて最後。『人である為、人である故』である。これは、前章から引き続いて『文章』もとい、人里に来て『無為』と名乗った男の話である。 と言うかそうであることはもう最初の段階で気が付く。

2012-10-21 01:29:02
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

さて、人里で看護される無為の周囲には複数の人間が居る。人里で彼を保護する慧音。慧音の元を訪れる妹紅。珍しい奴がいると聞いて来た魔理沙。 または、病状を確認する永琳や振り回される鈴仙、ざーと数えるだけでこれだけ居るし、魔理沙や永遠亭師弟が絡んでいるとなると当然絡む人妖が出てくる。

2012-10-21 01:29:11
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

そう。しかもそれぞれ誰が主人公と言うわけでもない。そもそも、無為の視点は滅多に描かれない。第三者の視点から、無為を見続けることはされていても、無為からはその口を介して以外ほとんど語られないのだ。

2012-10-21 01:29:16
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

救われるべき存在、無為。救いたいと思う存在、無為。けれど、誰にも救えない存在、無為――。 寿命が刻一刻と削れていく。ただその厳然たる事実だけが、客観的に、けれどきっと無為がそこから遠からず居なくなる、という実感を以てのみ語られる。

2012-10-21 01:29:25
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

その一方、無為自身は死が眼の前にあるというのに、どこまでもマイペースに「生きて」いた。 あまりのマイペースさに、周囲の反応は様々。憤ったり、悲しんだり、または生かす方法を探ったり。

2012-10-21 01:29:29
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

序盤はとにかく魔理沙の動き回り方が非常に印象的で、あっちに動いてこっちに動いて頭抱えて絶望したり立ち上がったり泣きわめいたりととにかく表情豊か。 特に様子をほとんど変えず、ただ痛ましさを携えて見ていた慧音や彼なりの哲学を勝手に悟っていた妹紅とは対照的だ。

2012-10-21 01:29:45
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

無為自身死を恐れていないわけではない。その場から居なくなるのを恐れていないわけではない。 ところどころ入り込む、確実な死の恐れ。死にたくない。生きていたい。けれど、自分が自分でなくなるのは嫌だ。

2012-10-21 01:29:50
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

生きるためには、いくつかの手段はある。不死身の存在になってしまえばよい。それだけのことだ。 けれど、そうしたら無為はきっと無為ではなくなる。それを最も彼は恐れる。なぜ恐れるか――それは、彼が彼で在り続けたいから。人間で在り続けたいから。

2012-10-21 01:29:56
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

そう。『人である為。人である故』はここにすべてが集約される。無為は、『人である為、人である故』に死に一歩ずつ足を進めるのだ。 その道は、平坦ではないし、起伏もあるし、妨害するようなものもある。けれどそれがどんな辛い道であろうと、ただ真っ直ぐに進み続ける。

2012-10-21 01:30:03
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

その平坦ではないのと、起伏と、妨害するようなものは全て『情』と『繋がり』なのだ。 その情と繋がりがあるからこそ、その道はとても辛いけれど、その道の袂で休むことができる。

2012-10-21 01:30:06
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

けれど、物語は進み続ける。止まらない。当然、無為の残される時間も段々と短くなっていく。 彼の病もまた解明されて、どうなってしまうのかも全て結論は出ていた。

2012-10-21 01:30:09
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

だから、彼は為したいと思ったことのため少々無茶をする。 というか本当に無茶である。何だこの男。無茶の内容は眼にしていただきたいところ。作中二番目のインパクトを持つハイライトであろう。

2012-10-21 01:30:13
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

作中一番目のインパクト? それは、続く慧音の語りだ。 これも何処までもその目で確かめる事項故割愛する。 私は涙した。それで足りる。 「終わっちまったよ」の一言が、全てのトドメを刺す。

2012-10-21 01:30:20
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

けれど、彼が幸いだったことは、偶然と言えど知り合えていた存在に死神が居たことであろう。 ひょんなことから最後のピースが紛れ込み、彼の終焉は決まっていたのだ。

2012-10-21 01:30:24
高坂流@C103(土)ひ-01a @takasaka393

粛々と、けれど何処か当人はいつも通りに、終わりを迎えて行く。 妹紅も、慧音も、心は限界まで来ていたのだ。何故、無為は生きてくれないのか、死んでしまうのか――。 このやりとりも必見物。本当に見所が多く目を離せない。

2012-10-21 01:30:28