- terukiokamoto
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なんかさ、和服着て和風の曲使えば、みたいな感じはあるけどさそれはただの「Japanese Style」でしょ。「日本」じゃないよ。日本人にしかできないパフォーマンスってEJCいってすごくわかった。
2010-08-04 03:58:07もっと日本人や日本というものを掘り下げてみよう。EJCでも明らかに日本人のパフォーマンスは違った。繊細で奥ゆかしくて調和をすごく大事にする感じ。
2010-08-04 04:00:58しげぞうさんも言ってたけど確かに白人のパフォーマンスには「支配」を基本概念としているような感じがあった。音も道具も、全部それを操る自分。それに対して日本人の基本概念は、僕は「調和」だと思う。
2010-08-04 04:04:08まあやっぱり日本人には明確な自己意識というものが無いからこその事なんだろうな。「I」を主語に立てずに会話ができる民族なんて日本人以外にいない。それをうまく使うかダメに使うか。
2010-08-04 04:08:46白人にとってパフォーマンスは「I」を見せる場なんだ。でも日本人は違う。「こんな雰囲気」っていうのが多い。全然「自分」じゃない。少なくとも僕は、僕自身が世界を作って、それにとけ込んで客を包み込む、ぐらいのイメージでやってる。いや、結局見せるのは自分なんだがそれは大きな違い。
2010-08-04 04:11:12@llllki これは河合勝先生のコレクション。見るべきところはたくさんあるんだが、まず一つはそれぞれが能や歌舞伎の題材にもなっている様々な「定番」がテーマになった演技になっていること。
2010-08-04 04:19:17@llllki たとえば、相生下がり獅子の形、というのは赤の毛の子役の獅子がハシゴから下がってるやつだね。これは足芸の上でさらにバランスをとる技物。衣裳、道具が全て「石橋物(しゃっきょうもの)」になってる。
2010-08-04 04:20:32@llllki 曲芸の歴史は常に「危険を見せる」ことで、演技ができたことに対し「どうだすごいだろう」というアピールをとる、という手法なのね。そのため、危険なバランス芸や危険な動物芸がサーカスアクトとして好まれてきた。
2010-08-04 04:23:32@llllki これに対し、ヌーヴォーシルク(新サーカス)の流れは、動物を廃して人間の身体表現で物語を紡ぐ、という形式。一番の成功例がシルク・ドゥ・ソレイユなの。音楽、衣裳、道具がすべてひとつのテーマ、物語を語る。その過程で技を見せる。
2010-08-04 04:24:38@llllki 実にこの「ヌーヴォーシルク」を先取りしてたのは江戸の曲芸だったんだよ。衣裳を見ればわかる通り、決して芸能卑賤視の流れでなく、立派な太夫として格を持っていた。ジャグラーはこういう流れを知った上で世界で活躍するべきかと。
2010-08-04 04:25:40@tezumashi なるほどう・・・。ありがとうございます。なんというか、ホントに日本人の感覚はものすごく独特ですよね。。。
2010-08-04 04:28:45@llllki 「和服着て和風の曲使えば、みたいな感じ」に対する批判は僕も持っているが、では古来の日本の芸が「調和」と「奥ゆかしさ」だけだったかというと、そうでもないのさ。掘り下げると面白いよ。
2010-08-04 04:28:53@llllki 僕は独特、とはあまり思ってないです。各国、「らしさ」はある。言うなればどの国も独特。ただこのジャンルは日進月歩で、どの国も先端技術を追い、過去を忘れている。単なる懐古主義や外人受けで演じるのでなく、どの要素が日本の日本たるところか、見極めるセンスは必要かと。
2010-08-04 04:32:01@tezumashi そうですね、、、勉強もせず批判とは、僕自身があんまり良くないことだと普段から思ってるのに軽率でしたなあ。。。勉強になりました。お忙しいのにありがとうございます!!
2010-08-04 04:33:18