東大に自由を履き違えてるアホがいるのかー。自由は責任と自律を担保に成立するもの。それぞれが守るべき最低限のラインを暗黙の了解で守ることで初めて自由が得られる。それなのに、自由は「なんでもしていいこと」など考えだすアホがいるせいで、大多数の自由が規制されてしまう。
2012-10-30 21:53:58全くの無条件の自由だからこそ、それは基本的人権としての価値があるのではないかと最近は思ったりもする。難しい問題である。RT 自由は責任と自律を担保に成立するもの。(略)それなのに、自由は「なんでもしていいこと」など考えだすアホがいるせいで、大多数の自由が規制されてしまう。
2012-10-30 22:06:27@amamiya1yuuki どうも僕はカント的な意味での自由にはコミットする気にはなれないんですね。むしろハイデガー的な、生に根差す無力のようなかたちで自由をとらえているというか。そこには本質なんてものもないと言いたい。
2012-10-30 22:16:16@amamiya1yuuki まぁ、なんというか僕は前期でとっしーの概論受けずに中国思想概論で老荘思想を学んでいたので、自由という概念にしても理性の外にあるようなものとしてとらえたくなるんですよ。個人的な立場としては本質主義と反基礎づけ主義の間で呻吟している状態です。
2012-10-30 22:26:49@amamiya1yuuki 儒教の形而上学だと、理性も本能も誤りやすいものとされ、そのうえに本心(西洋哲学だと本来性みたいなもんですかね)が置かれるわけですが。陽明学なんかの「知を致す」みたいなのは、そういう観点からすれば「本来性を取り返す」ような営みと重なってくると思います。
2012-10-30 23:03:20@amamiya1yuuki うーん、理性がまるっきり信頼されていないというわけではないでしょうがねえ。「理を窮める」とか言うし。でも「天」とか「道」とか持ってくるあたり、現代の制度論とか環境論とかと、重なるとまでは言わないまでも全体論的な性格は共通する気がしますね。
2012-10-30 23:37:55@amamiya1yuuki (続き)で、そうすると現在教育が重視されているのはなぜかなあということになるわけですが、これはフォロワーさんに教育学部の人もいるので迂闊なことは言わないことにして口をつぐむことにします(笑)
2012-10-30 23:42:13@amamiya1yuuki 中国の場合は存在論的な問いというよりは倫理的な問いが核にあったのではないかという気がしますねえ。「鉄が錆びる」の比喩がよくわからなかったので説明してくれないかい?
2012-10-30 23:47:40@amamiya1yuuki 余計わからなくなった。Q「中国で教育が重視されたのは理性に必ずしも絶対的な信頼を置かなかったから(環境を重視したため)」「そして現代教育が重視されるのも同じ理由か?」→A「神は死んだ」???ラショナリズムがリアリティを持たなくなったということ?
2012-10-30 23:57:17@asakawww えっと、「知を致す」必要があるのはどうしてでしょうか?なんか質問を質問で返すのはよろしくないかもしれませんが。
2012-10-31 00:07:25@amamiya1yuuki ただ知識を溜め込むだけでは自分らしさとか、人間の本性といったものが見えてこない、それゆえ「知を致す」、つまり知それ自体を主題化する必要がある、ということだったですかね。ただこれはあくまで学問論であって「教えるー教えられる」関係についてではありません。
2012-10-31 00:12:48@amamiya1yuuki (続き) さて、ユウキさんが「教育の本来のあり方」というとき何を念頭に置いているのか、というのが僕の疑問だったわけですが、いかがでしょうか?
2012-10-31 00:20:27@asakawww 大学の講師はあまり言えないかもしれません?が学校の教師が勉強を教えるのって知を見つけるきっかけを与えるためではないでしょうか?それは学問論であってもやはり「教えるー教えられる」関係は成立できます。この「知」って言うのはその人が正しい道に進める(続く
2012-10-31 00:26:11@asakawww (続き)方法や考え方であり、人が素の状態では見出すのは困難であるため見出すきっかけを作るために教育はあるのかと思います。つまり、人が正しく生きることができる事を念頭においています
2012-10-31 00:31:44