茂木健一郎氏 @kenichiromogi 【失うことは、得ることでもある】連続ツイート

2012年11月4日の連続ツイート第765回 【失うことは、得ることでもある】 …人生においては、「獲得」と「喪失」は、常に表裏一体のものである。言葉は便利なものだが、言語を得ることによって、私たちは実は多くのものを失っている。言葉で表現したら、それ以上の詳細に注意を払わないで、通り過ぎてしまう。「あっ、馬だ」と片付けて、その馬自体を見ない…
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茂木健一郎 @kenichiromogi

連続ツイート第765回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日も、引き続いて、日本を元気にするツイートシリーズ!

2012-11-04 07:29:11
茂木健一郎 @kenichiromogi

うえ(1)『挑戦する脳』の中で、盲目のピアニスト、デレク・パラヴィツィーニの話を書いた。生まれつき目の見えなかったデレクだが、実は人しれず音楽についての学びを積み重ねていた。ある時、少女がピアノのレッスンを受けている時に、突然、デレクは少女を押しのけて、無茶苦茶に弾き始めた。

2012-11-04 07:31:42
茂木健一郎 @kenichiromogi

うえ(2)音楽教師だったアダム・オッケルフォードは驚いた。拳や、肘や、頭までつかって、野獣のようにでたらめに弾いているとみえたデレクのピアノから、ミュージカル『エヴィータ』のテーマソング、Don't cry for me Argentinaの旋律が聞こえてきたのである。

2012-11-04 07:33:48
茂木健一郎 @kenichiromogi

うえ(3)つまり、デレクは、目が見えない中で、音楽に耳を澄ませ、集中して聴いた曲を覚えていた。ところが、ピアノを普通はどのように弾くのか、見たことがなかったから、自分なりに、拳や肘や頭をつかって何とか表現しようとしていたのである。アダムがデレクの才能を見いだした感動の瞬間だった。

2012-11-04 07:35:17
茂木健一郎 @kenichiromogi

うえ(4)デレクとアダムの二人三脚が始まる。デレクの、音楽を弾きたいという衝動はあまりにも強いものだったので、デレクがピアノで見本を示していても、押しのけて弾こうとする。仕方がないので、デレクを部屋の一番遠いところに座らせ、がーっとダッシュしてくる間に見本を示したのだという。

2012-11-04 07:36:51
茂木健一郎 @kenichiromogi

うえ(5)デレクが、目が見えないことは、大変なハンディキャップだった。「目が見える」ことで、私たちの生活は随分助かっている。ところが、脳の可能性は不思議なもので、視覚を「失う」ことで、得るものもある。楽器を弾く時につい視覚に頼ってしまいがちだが、デレクは最初からタッチプレイ。

2012-11-04 07:39:02
茂木健一郎 @kenichiromogi

うえ(6)デレク・パラヴィツィーニの物語は、私たちに勇気を与えてくれるとともに、大切なレッスンを教えてくれる。つまり、失うことは、得ることでもあるということ。何かを喪失することは、それを失うという意味においては辛い、大変なことだが、別の見方をすれば、可能性が広がることでもある。

2012-11-04 07:40:22
茂木健一郎 @kenichiromogi

うえ(7)何かを持っているということは、それに頼ってしまうということでもある。道具としてそれを使うことで、他の可能性があらかじめ封じられている。人間関係も同じことで、誰か大切な人がいるということは福音であると同時に、その人に頼ってしまうということでもある。

2012-11-04 07:42:16
茂木健一郎 @kenichiromogi

うえ(8)人生においては、「獲得」と「喪失」は、常に表裏一体のものである。言葉は便利なものだが、言語を得ることによって、私たちは実は多くのものを失っている。言葉で表現したら、それ以上の詳細に注意を払わないで、通り過ぎてしまう。「あっ、馬だ」と片付けて、その馬自体を見ない。

2012-11-04 07:43:38
茂木健一郎 @kenichiromogi

うえ(9)何かを失った悲しみからは、きっと回復できる。あるいは、失うのではないかと、不安や恐怖にふるえていては、「挑戦する脳」になることができない。失うことはつらいことだが、それは同時に「得る」ことでもあると発想を変えてみよう。人生万事塞翁が馬。喪失が獲得になる場合もある。

2012-11-04 07:44:55
茂木健一郎 @kenichiromogi

以上、連続ツイート第765回「失うことは、得ることでもある」でした。

2012-11-04 07:45:20