- AKC55_analog
- 2415
- 0
- 0
- 0
煕子さんの昔話
@N_Srus 一般には、わたくしの死因は病によるものである、と伝えられております。石山本願寺攻めの際、患われた光秀様の看病疲れからくるものでは、とも。…あ、あ、決して、光秀様が悪いと言う事ではありませぬ…!
2012-11-07 22:13:03@N_Srus 村井貞勝様が、わたくしの病の見舞にとお越しくださいました。光秀様が面会なさった旨が、此方に記されておりまする。村井様と申せば、京都所司代に任ぜられるなど、信長様に重用された方にございます。
2012-11-07 22:27:47@N_Srus 其の十日程前には、わたくしの病が治った--などと記されておりましたが、一転、再発したのやもしれませぬ。当時は医療も、芳しい環境や状態にございませぬ故……余談ではございますが、現代では労咳が治る病である、とお聞きした時は、大層驚きました…。
2012-11-07 22:32:27@N_Srus わたくしのお墓ですが、滋賀は大津にございます、西教寺にありまする。此方は明智氏、妻木氏の菩提寺でもあり、天台真盛宗のお寺であることも知られております。…そう言えば、天海様も天台……(こほん、)
2012-11-07 22:45:36@N_Srus 光秀様のお墓も、勿論ございます。妻木範煕…若しくは、広忠との説もございますが--坂本落城時には、わたくしの父上が、西教寺にてお墓を作り、其の後自害した…などというお話も伝わっております、ね。
2012-11-07 22:50:08@N_Srus 元禄の事でしたか…彼の奥の細道、の旅を終えられました芭蕉様が、伊勢の門弟又玄様の家に宿泊された夜のお話にございます。又玄様の奥方様の献身に、芭蕉様は感謝と敬意を込め、斯う詠まれた、とか…。
2012-11-07 22:58:13@N_Srus 寂しい月明りのもとで、彼の明智光秀の妻の昔話をしましょう。あなたのその心掛けは、将来必ず報いられる日が来ますよ。 そう、込められた句にございます。またしても、畏れ多き事でございます…。
2012-11-07 22:59:50@N_Srus 娘の珠子が、忠興殿に嫁いだのはわたくしの死より二年の後…天正六年のことにございます。娘の晴れ姿を見ることが叶わず、悔しゅうございます…。
2012-11-07 23:04:51@N_Srus 明智軍記などでは、坂本落城と時を同じくして自害した、との記述もございます。…されど、わたくしの死後、……婚儀の際はわたくしの代わりに送られた妹が、光秀様のもとへ嫁いだ、との記述もございます。
2012-11-07 23:12:07@N_Srus 天寿を全う出来たのかどうかは、計り知れませぬ。苦しき事も、辛き事も、数えきれぬ程ございました。…同様に、幸福や嬉しき事もたくさん、ございました。
2012-11-07 23:16:56@N_Srus 一時はおなごとしての一生を送れぬ、とも思うた身にございます。其れから子を生し、輿にまで乗ることが出来……隣には、愛しきお方…身に余る幸せに、ございました。
2012-11-07 23:21:50…来年は、もう少し詳しゅうお話しとうございます、ね。ご清聴、誠にありがとうございました。わたくし達の旅はこれからにございます!
2012-11-07 23:34:39