朝食を掻きこみ、デザートのプリンをたっぷりじっくり時間をかけて味わってから外へ出ると、水瀬姉妹はすでに準備を終えて待ちくたびれていた。いつも通り三人で歩き出すと、いつもどうり琴理の毒舌がはじまる。
2012-11-18 00:36:05「ぎょう虫と見分けのつかない人間がいるなんてびっくりです」 「今日は虫ときたか…」 昨日は深海魚で一昨日は錆びたネジによくにた物体だった。地上の生き物というだけで少しはマシ──なのかは、ハルにはわからない。
2012-11-18 00:38:31「妹として琴理は心配です。我が姉が優しさ故に、毎朝人間だかぎょう虫だかわからない生物を起こすため薄汚い巣にあがりこむなんて」 「こらこら琴理、そんなこと言ったらおばさんに失礼だぞ」 「俺にも失礼だと思う。あと琴理、歩きながらアメ食ってると喉につまるぞ」
2012-11-18 00:41:17「もちろんこのぎょう虫の部屋オンリーへの悪意だから平気です。おばさまはふっくらカリカリのスコーンをつくる達人だから尊敬に値する人物です」 「ならよし」
2012-11-18 00:45:04「そのスコーンを食べて育った俺が虫なら、お裾分けで俺より大量に食べてるオマエらも立派な虫じゃないかな。あと俺はスコーンよりプリンの方が好きだ」 「夏はもうすぎたのに……暑苦しいし虫もよく鳴くです」 「秋……遅いね」
2012-11-18 00:46:26感傷的に空を見上げる二人。なにを言っても無駄らしい。ハルは手を繋いで歩くふたりの背中を見つめ、どうにもならない疎外感を覚えた。毎朝のことなので、慣れたと言えばそうなのだが。
2012-11-18 00:48:06基本的に水瀬姉妹の仲はよい。身長差のある後ろ姿も見慣れたものだ。長年見守っているが背丈の差は縮まらず、現状で優に頭ひとつ分は違う。制服の着こなしにしても、好対照な「活発さ」と「しとやかさ」を体現している。
2012-11-18 00:50:37愛理は長袖の白ブラウスを腕まくりし、青チェックのプリーツスカートをやや短く詰めて長い脚をいっそう長く見せていた。付け加えるなら、ブラウスの前はぐっと持ち上がって、皺のはりつめ方からしてもう「ここに丸くて大きく豊満なものが詰め込まれてますよ!」と猛アピール。
2012-11-18 00:53:26琴理は白ワンピースに紺のボレロを重ねて肌の露出を抑えているが、薄くなよらかなボディラインは服を着てもお目に見えるほど薄くなよらかだ。胸がなくて女らしくないかと言えばそうでもない。繊細な体躯には「か弱い女の子」というひとつの象徴的な美しさすら感じる。アメ玉をなめ続けてるのもご愛敬だ
2012-11-18 00:56:09言い換えれば、「揉みしだきたい巨乳」と「抱きしめたいちびっこ」 見た目だけならどっちも美少女なのに── 「複眼で後から視姦されてる気がするです」 「ハル、胸ばっかり見るのやめなよ」 振り向いた愛理が首もとに手を伸ばしてくるので、ハルは首でも締め上げられるのかと思って身震いした。
2012-11-18 00:58:46「ネクタイ歪んでるぞ、バカハル」 きゅっとネクタイを締められて、すこし安堵する。 「しっかり締めると暑苦しいんだよ」 「着崩しが似合わないタイプなんだからお行儀よくしときなって」 さらにぎゅっと締めてくる。 「ぐえっ」 ネクタイの結び目が喉に引っ掛かった。
2012-11-18 01:01:08頸動脈にもぎゅむりと食い込む。 「あ、ごめん。力の加減間違えた」 「は、ずせ…!息、できなっ、ゴブッ」 「あ、あれ、緩まない。汗で湿ってたせいかな。でも──ハッ」 ぶちりとネクタイがちぎれたその反動で、ハルは後方に吹っ飛ばされた。
2012-11-18 01:04:00愛理の馬鹿力は今に始まったことではないが、電柱にしこたま頭を打ち付けると、「ああ、やっぱりロクな朝じゃないなぁ」と痛感する。 「お姉ちゃん、手を洗って虫汁を落とすまで触れないで欲しいと妹は思います」 「ひどい……琴理はお姉ちゃんのこと嫌いなの?」 「お前らどっちもひどいよ…」
2012-11-18 01:06:31ひび割れた電柱から頭を離し、首を振って痛みを飛ばす。長年ひどい目に遭い続けたおかげで、タフネスには自信があった。ただし脳ばかりは鍛えようがなく、二、三歩ふらついて手をつく。 プリンみたいに柔らかな、愛理の胸に。
2012-11-18 01:08:42「きゃっ」 裏返った声は、ちょっと愛嬌があったかもしれない。 翻った平手はもちろん愛嬌なんかとは無縁なので、ハルはとっさに頭を抱えて屈んだ。 ぶおん、と頭の上を突風が吹き抜ける。 ぞぐり、と粘土をへらで削るような音がした。
2012-11-18 01:10:36「ひぃ…!」 ハルは真横の塀を見て、どうにもなれることができない光景を目にした。 煉瓦の塀に五本の長いラインが引かれている。ついさっきまで存在しなかった生新しい爪痕だ。 愛理はぱらりぱらりと指先から煉瓦の粉を垂らして、怒りに顔を上気させる。
2012-11-18 01:13:40「もー!避けるなあ!」 「避けるよ!せめて出席できるコンディションでいさせてくれよ!」 「110番通報、と」 「琴理はナチュラルに国家権力呼び出そうとすんな!」
2012-11-18 01:16:13にンまぁ~と琴理が笑った。アメ玉で頬が丸く膨らんでいる。その表情がとびきりの悪意が発動した証拠であることをハルは経験則から理解していた。 「時すでに遅しです……繋がってますよ」 「マジで通報したのかよ!」 通話だけはさせるまいと、携帯電話に飛びつこうとした。
2012-11-18 01:19:00「えいっ」 琴理は携帯電話をあさっての方向へ投げ出す。 ハルは空中に弧を描く携帯電話を全速で追った。住宅街の狭間にこぢんまりと横たわる空き地へと突っ込んで、見事に薄桃色の携帯をキャッチする。 「焦ったな琴理!電話を繋いだだけじゃ警察はきてくれない!」
2012-11-18 01:22:06勝ち誇るハルがみたものは、いまだに消えない「にンまぁ~り」という笑顔と、彼女の手のなかの携帯電話だった。 「……え?」 自分の手にしたものを見下ろす。 液晶画面は灰色に染まったまま、なにを押しても電源がつく気配がない。
2012-11-18 01:24:02「番号抜きの白ロムだから動かないですよ?」 「小賢しい真似を…!」 「囮が欲しかっただけです」 琴理の笑みが冷や汗をまじえていた。 隣では愛理もまた、ひきつった顔で汗にまみれている。
2012-11-18 01:26:09ふたりの視線の行く先は、ハルのすぐそばで3つに重なった土管。 そのなかから、ヒョイと首が出てきた。ひとつ、ふたつ、と次々に首の数が増えていく。土管からわらわらと四つ脚の獣が出てくるや、水瀬姉妹は身震いを合図に走り出す。
2012-11-18 01:28:19「お姉ちゃん!悪魔どもが虫をもてあそんでいるうちに逃げるですよ!」 「ナ、ナイスよ、我が妹!ハル、あとは任せた!」 足をもつれさせんばかりに慌ただしく逃亡するふたりをよそに、ハルはその悪魔どもに取り囲まれて退路を塞がれていた。
2012-11-18 01:30:13