筑波大学生は筑波鉄道を利用していたのか?&常磐道以前の、筑波大学生の上京手段
発端になった発言。
筑波鉄道がまだ健在だった頃、筑波大生はあれを使ってたんだろうか。 一の矢の民なんかは荒川沖出るより田土部に出たほうが早かったんじゃないかな。5kmだからチャリでもサクッと行けるし。。。
2012-11-19 23:50:35このなんとなく思いついたつぶやきに対し、実際に筑波鉄道があった頃在籍していた筑波大OBから貴重な証言が!
@robertask 83年入学で、筑波鉄道筑波線廃線が87年でしたが、乗らずじまいでした。土浦プリンスホテル(非プリンス系)夜勤のフロント受付バイトなどやってた時は自転車かバスで土浦に出てましたねー。そうか一の矢・田土部・土浦ルートもあったのか。思いつかなかったなー。
2012-11-20 00:11:13@naox_toku おお、そうなんですか。。。 学部卒と同時に廃線ですね。。 廃線時も大して話題にもならなかったんでしょうか??
2012-11-20 00:26:43@robertask えー、勉強できなくて学部卒してないので、そのあたり微妙なのですが、、。笑。87年4月1日廃線、、、。国鉄分割民営化も同じ日?どっちも覚えてないっす。(^^;; → 筑波鉄道筑波線 - Wikipedia - http://t.co/SePMU6bm
2012-11-20 00:35:25@robertask や、人より勉強できなくても人より長い期間学校行ったんで、廃線時にも在学してたんですけど、、。ま、とにかく当時の自分は土浦駅(または荒川沖駅)が最寄りの駅って認識でしたねー。自分の周りにも筑波線を話題にした友人は居なかったなー。
2012-11-20 00:48:21@naox_toku ああ、なるほど。。 そうか普段から話題に上らないどころか選択肢として認識されてなかったのですね。 おもしろいです。 今でも筑波鉄道あったらちょっとは便利だったかなーなどと思ってましたが全然そうでもなさそうですね。。。
2012-11-20 00:51:36@robertask 道路事情もあったからかな。今は柴崎交差点からテクノパーク桜経由で道路あるけど、当時は平塚線は東大通りでストップしてその先は道無かったし。給食センターの先の道路がどこに続いてるのか、知らなかったしなー。
2012-11-20 01:01:23「筑波大学の最寄り駅は土浦/荒川沖」で、筑波鉄道は思いつきもしなかったし、そもそも田土部までの生き方も知らなかったという衝撃的な証言。一の矢からすぐなのに。。。
そしてもう一名のOB。 花畑在住だったそうで、住んでる場所的にも筑波鉄道の利用が便利なのではないかと思われるのですが!
@robertask マジレスすると、そんなに本数はなかったので、1年次から花畑に住んでた人間(ワシのことだが)も一度使ったかどうか。大学中央からの本数は今より多かったので荒川沖行きのバスに乗ってました。あと、筑波鉄道は結構電車賃高かったです。
2012-11-20 00:15:10常磐線までのアクセスとして、本数も値段も筑波鉄道は関鉄バスに負けていたようです。言及されてませんが、後述される接続の悪さを抜きにしても所要時間でもバスで荒川沖に出るのが有利かもしれません。
@ssm_o あー、本数と値段で負けてたのですね。 というか中央から土浦のバス、今より本数多いってのはおもしろいですね。やっぱりTXできるまでは常磐線方面への流動が強かったのでしょうか。東京出るとき、つくば号と常磐線の使い分けってどうなさってましたか?
2012-11-20 00:28:46@robertask 常磐道全通前の古い人間なんで、学類の時は国鉄以外選択の余地なし。バスが通ってからは、時間を気にするときは常磐線で上京、いつ着いてもいい下りはバスを使うという感じでした。原付以上の交通手段を持っていた人は、取手や天王台まで自力で行ってましたね。
2012-11-20 00:38:31@ssm_o 今見たら桜土浦以南の全通って85年なのですね、意外と最近…それ以前でも筑波鉄道は選択肢には上らなかったのですか。 そして原付で砦まで行くという発想、たぶん今の学生にはないです。。。これは驚きです。原付、車の保有率も今より高かったんでしょうねきっと。
2012-11-20 00:44:21@robertask とにかく本数がないから筑波鉄道⇔常磐線の接続が悪い。そのため選択肢には上がってこない訳です。なのでまず常磐線の(しかもできるだけ東京に近い)駅まで出ておきたかったわけですね。エンジンがないと取手、天王台は無理ですが、荒川沖なら自転車で行くという人もいました。
2012-11-20 00:59:00@ssm_o なるほど…荒川沖までチャリっていうのは僕も車買う前やってましたが、筑波鉄道通るよりその方が便利なんですね。取手まで原付ってホントに思いつきもしませんでしたが、今度昔を偲んでやってみようと思います。笑
2012-11-20 01:05:01話はずれてきますが、「つくばエクスプレス以前」どころか、「常磐道以前」の筑波における東京行き交通事情。原付で常磐線の取手どころか、千葉県の天王台まで出てしまうという選択肢があったようです。
OBの方々から非常に興味深い話いただいたのでろばくんは衝撃をうけました。
常磐道開通前は、とにかく常磐線を使わないと筑波大学から東京には出られなかったのだけど、その際に学園から土浦なり荒川沖なりまでバスで出る以外にも、取手とか天王台(!)まで原付で行くって手段があったらしい。今となってはそんな発想全然ないよね…。
2012-11-20 01:19:27新大利根橋(先日まで有料だった、柏市布施あたり~ラーメン二郎守谷店を結ぶ橋)も、架橋されたのは1980年だったし、そうすると車/原付でも東京出るのだいぶ面倒だったんだろうな。そう考えると、ほんとにつくばの陸の孤島間すごい。。。
2012-11-20 01:26:14原付で取手/天王台まで出るっていうのは、確かに飛躍的に電車の本数増えるので理由としてはわかるんですが、「天王台ナンデ?」っていうのがちょっとひっかかってました。それに対する示唆が@lm700jさんなどから。