2 ) 以前、ロカビリーの歴史を調べていたとき、当時の歌謡界の新人で人気絶頂だったのが三橋美智也だった。こんな古臭い歌が流行るのはジャズ( 当時ではロカビリーを含む洋楽全体を指す) の台頭に対する反動、というような論調が1958年にあったことに驚ろかされた。
2012-11-21 11:21:473 ) 同様な論調で一般週刊誌で語られたのがその十年後にブームとなったムード歌謡。「長崎は今日も雨だった」「思案橋ブルース「君は心の妻だから」などの大ヒットが1968年前後に生まれている。その時代はアングラ、サイケの時代でもあった。
2012-11-21 11:26:384 ) ムード歌謡のコーラスが、海外のニューロック、サイケデリックロックの影響を受けたグループサウンズ(GS)と同じくソロ歌手ではなく、揃いの制服を着用していたグループだったという同時代のシンクロニシティは、もっと検討されてもいいのではないか。
2012-11-21 11:32:065 ) で、ようやく「女のみち」の話となるが、ぴんからトリオが自主製作した音源を最初にレコード会社に売り込みに行ったとき、けんもほろろに門前払いされている。その理由は「この時代にこんな泥臭い演歌は流行らない」というもの。
2012-11-21 11:35:106 ) 「この時代」とは、海外のポップス、ロックが巨大なマーケットとして定着し、日本ではカルメンマキ&OZ、クリエーション、四人囃子などが有望新人としてミュージックマガジンに取り上げられ、荒井由美がデビューし、井上陽水が1st「断絶」をリリースした年。
2012-11-21 11:38:197 ) 当初は泥臭い演歌と拒絶された「女のみち」を語るには、翌年の殿様キングスのメガヒット「なみだの操」は外せない。題名に「操」とあると、この言葉はこの時代の慣用語だと思いがちだが実は違う。当時の週刊誌アンケートで女学生の8割以上が知らないと答えている。
2012-11-21 11:42:358 ) 「なみだの操」はコロンビアレコードの「女のみち」の大ヒットを受けて、ビクターで同じ路線を狙ったもの。当時すでに死語化していた「操」を題名にもってくることからも明らかなように、あらかじめ意図した泥臭さと胡散臭さ。それは歌唱法にも現れている。
2012-11-21 11:48:199 ) 宮史郎、宮路おさむの歌唱法は、モノマネ芸人が演歌歌手の唱法をあざとく誇張して、笑いをとる一歩手前のような唄い方だ。だからこちら側 (演歌を普段は聴かない世代)も聴いていて恥ずかしくならない。一枚のフィルターを透かして演歌を聴いているような感覚。
2012-11-21 11:56:2910 ) 「女のみち」「なみだの操」の2年連続メガヒットは、だからポップス、ロックを聴かない旧世代の揺り戻しだけではなく「操」の意味を知らない世代も巻き込んでいる。昭和お笑い秘宝館。きっと宮史郎以上にコブシをこねくり回して歌っていたに違いない。
2012-11-21 12:06:08宮史郎とぴんからトリオ「女のみち」
作詞:宮史郎、作曲:並木ひろし、編曲:佐伯亮
(1972年5月10日リリース、日本コロムビア)
- 2年連続オリコン年間シングルチャート第1位(1972、73年度)
- オリコンシングルチャート16週連続1位
- 日本コロムビア公称シングル売上400万枚
殿さまキングス「なみだの操」
作詞:千家和也、作曲:彩木雅夫、編曲:藤田はじめ
(1973年11月5日リリース、ビクターレコード)
- 1974年度オリコン年間シングルチャート第1位
- オリコンシングルチャート9週連続1位
- 累計売上約250万枚