上山「軽率な診断発言について」を巡って:20121121-20121124
- contractio
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まったく関係ないと思います。 RT @ueyamakzk: 「とにかく診断名を持ち出すな」という酒井さんのご主張には、むしろ「診断側」と「診断された側」の明白な切り分け(診断枠に対する素朴な信頼)を感じるんですが…。…、医療的な診断言説に、メタ性を担保してしまいませんか。
2012-11-21 23:00:38@contractio なるほど。たとえば自分のことを論じるにも、「発達障害的」という言葉を使わずに、「思考の平板化や硬直がある」と論じなおしておけばいい、と。
2012-11-21 23:00:39.@contractio あるいは逆に、こういう問いはどうでしょう。例えば、「見事に発達障害の診断基準を満たした方」がおられたとして、そのかたに対しては、「診断カテゴリの流用」は起こっていません。でも、その方と診断カテゴリとの付き合い方に関しては、問題は残り続けると思うんですね。
2012-11-21 23:04:52@ueyamakzk それに、そもそも上山さんが やりたかったのは「どのような思考の平板化や硬直があるのか」を分析していくことだったはずなのに、それに最初から「発達障碍的」という(わかりやすい(?))表現を与えてしまうなら、むしろその作業は阻害されてしまうのではないでしょうか。
2012-11-21 23:05:52.@contractio なるほど。むしろ私は最初から、「思考の平板化や硬直」を、発達障害論に重ねすぎてしまっていたかもしれません。
2012-11-21 23:08:03いや、WEB0.7 くらいかな...。フレーム使ってるし。 / “日本マス・コミュニケーション学会” http://t.co/6ytWt05n
2012-11-21 23:12:20.@contractio 「ループ効果」というのは、概念の設定それ自体が、新しい効果を生んでしまう、というようなことでしょうか。▼それで思ったのですが、つまり私は、診断枠を「正確に用いる」という議論に、おぞましいものを感じてしまっているところがあります。
2012-11-21 23:12:50.@contractio ある概念枠を認めてしまった瞬間に、それにまつわる運用が自動化してしまう――つまり、オブジェクト・レベルにいる努力にはまったく触れないところで自動的にどんどん進んでしまう――、そういう作法に、非常に激しく怒っているし、抵抗しているところがあります。
2012-11-21 23:15:33@ueyamakzk 「「人を分類するための言葉が、当の分類される人々によっても使われる」ことによって生じる諸々のこと」くらいの意味です。 http://t.co/KV4CtLnn
2012-11-21 23:16:36@ueyamakzk 「まるごとわかる」とはもちろん言いませんけども、そういうのは ちょっとは分かる気はしてるんですよ。(だからこそ。)<おぞましいもの
2012-11-21 23:17:34.@contractio 思うに、私は精神科の診断枠を、かなり徹底的に疑っています。「恣意的に勝手に設定されたもの」ぐらいにしか思っていない。概念やその運用に対する《不信》というモチーフも、この議論には潜んでいそうです。
2012-11-21 23:19:22.@contractio 概念の恣意的な流用で損なわれること、が勿論あるのですが、逆にいうと、「徹底的に厳密にやればいい」という前提も、信じていない。そのように診断枠を信頼することは、むしろまた別の、詐欺的な欺瞞を導き入れることになる――というような…
2012-11-21 23:24:56@ueyamakzk いや、きちんと分析してみれば、少なくともかなりの程度、単に「恣意的」でも 単に「勝手に設定されたもの」でもないことが判明するだろう、という直観もありますが。まぁそれはそれとして。です。
2012-11-21 23:26:37.@contractio ありがとうございます。精神科の診断で参照される権威はだいたい決まっているので、ブログでしつこくやっていたのは、ひとつにはその権威性の嘘を論じることでした。(検索すると分かるのですが、そんなに高度な議論ではないのに、あまり気づかれていない話です)
2012-11-21 23:29:16.@contractio 私がわかりにくい言葉で取り組もうとしている技法上の工夫や、それにまつわる疑念は、自分の感じている窮屈さや不信を、少しでも改善しようとしてのことなんだと思います。(ひとつ思うのは、不信の強い状態というのは、一方でひどく硬直してしまうということです)
2012-11-21 23:32:31.@contractio そしてそのとき、 http://t.co/GhNXlBtW ここでお書きくださった「まったく関係ないと思います」のところが、私はまだ気になっている、のだと思います。▼ひとことで言い直せば、《理論》という事業そのものへの不信、というか。
2012-11-21 23:34:12