茂木健一郎氏 @kenichiromogi 【勉強する、情熱】連続ツイート
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連続ツイート第792回をお届けします。文章は、その場で即興で書いています。本日は、昨日に続いて、幕末のある人物のことを。
2012-12-02 07:19:00べじ(1)慶應大学に入った人は、全員が福沢諭吉の『福翁自伝』をもらうそうである。ちゃんと読んでいるかなあ。この自伝には、驚くべきことが書いてある。なんと、福沢諭吉は、14歳のときに、周囲が漢籍を読めるのに自分が読めないことに気づいて、一念発起で勉強を思い立つのである。
2012-12-02 07:21:13べじ(2)数えでだとしても、14歳と言えば、今の中学生。その頃になって猛勉強を思い立った福沢諭吉は、めきめき頭角を現す。今度は長崎に行って、蘭学を始める。そして、父親の死で、中津に呼び戻されるところ、帰るふりをして、まだ勉強がしたいと、大阪に向かう。緒方洪庵の適塾に入るのである。
2012-12-02 07:23:08べじ(3)適塾は、今でも、大阪の中心部に大阪大学管理の施設としてある。一度、訪れるとよい。ここで、福沢諭吉をはじめとする幕末の志士たちが猛勉強をしていたのかと思うと、今の私たちと比べて、大いに奮起するところがあるだろう。高層ビルに囲まれた、木造の美しい建物である。
2012-12-02 07:24:22べじ(4)適塾での福沢諭吉らの猛勉強ぶりはすさまじかった。辞書は、一カ所しかなく、それにみんなが群がった。蘭書を解説し、お互いに、何段階かで評価するシステム。それで、高い評価を得ると、次第に塾の中での地位が上がっていくという仕組みになっていた。仲間同士の切磋琢磨のしかけである。
2012-12-02 07:26:57べじ(5)福沢諭吉が適塾に来て一年経った頃、熱を出したので寝ようと思ったら、枕がない。それで気づいた。適塾に来て以来、勉強して疲れては床に横になって仮眠をとり、目が覚めたらまた猛勉強(これを仮眠グアウトという。ウソ。)だったので、ゆっくりと枕を使って寝たことがなかったのである。
2012-12-02 07:29:52べじ(6)なぜ、福沢諭吉たちは当時猛勉強したのか。言うまでもなく、西洋列強の圧迫の中、文明開化で追いつき追い越さないと日本は滅びるという猛烈な危機感と、西洋の文明に対する好奇心があったからだろう。勉強する、情熱。だからこそ、それこそ寝食を忘れて勉強に励むことができた。
2012-12-02 07:31:06べじ(7)翻って今はどうか。偏差値の高い大学に入って、いい企業に就職したいというのは、いわば日本国内でのポジション取りのような動機付けであり、一人の人間の魂を奮い立たせるには足りない。勉強する、情熱をかき立てるのは、もっと広いもの、もっと大きいものでなければならないだろう。
2012-12-02 07:32:25べじ(8)今、世界中の知が対流となって巡り、新しい文明を生みだそうとしている。境界を越えて坩堝の中から新しい価値が飛びだそうとしている。猛勉強の時代だ。google scholarで論文を読みまくりまえ。flipboardで世界中のニュースに触れたまえ。TEDのビデオを見たまえ!
2012-12-02 07:34:55べじ(9)一つだけ良いことがある。福沢諭吉の時代には、勉強の場を求めて長崎に遊学し、大阪の適塾に赴かなければならなかったが、今は、インターネットのおかげで、今、ここにおいて、すぐに猛勉強を始めることができる。勉強すれば、それだけ大きく、広い人になれる。さあ、始めようじゃないか。
2012-12-02 07:36:00