【信濃の武将】ひすちょりあ 愛と哀しみの鎌倉【義高の父】
- sukemori_t
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《国宝 阿弥陀如来坐像こと 鎌倉の大仏。高さおよそ11メートル、重さは120トン以上もあります》
《右の頬にかすかに金箔が残っています。かつては全身が金色に輝いていたのでしょう》
《やや前かがみで、参拝者に何かを語りかけるような姿が印象的です》
ー鎌倉大仏を誰がいつ、どのように作ったのかー?
《吾妻鏡に、浄光という僧が大仏堂建立のために寄付を集めたという記述があります》
《しかしこの浄光、どういう人物なのかが全くといっていいほどわかりません》
《謎は他にもあります。鎌倉時代の旅行記に、大仏が登場するのですが、そこにはなんと大仏は 木の像 だと書かれているのです》
《現在の大仏は金属の像ですから、これとは別に木の像があったことになります》
《その十年後、今度は金属の大きな釈迦如来像を作り始めた、という記述があります。この像こそ、今の鎌倉の大仏様?》
《ところが、今の鎌倉大仏は阿弥陀如来。釈迦如来ではありません。》
《木の大仏、金属の釈迦如来、そして金属の阿弥陀如来である今の大仏》
もしかして:鎌倉に三つの大仏が存在していた
ー先ず木の大仏が作られ、のちに現在の大仏に作り変えられた。ー
ー大仏造立には鎌倉幕府が関わっていたー
《大仏が作られた頃、鎌倉幕府は成立からまだ数十年。誕生間もない幕府は、武力だけでなく文化や宗教の面でも朝廷を凌ぐ力を示したいと考えていました》
《そのために、奈良や京都の寺院を凌ぐ、壮大で象徴的な存在 大仏 を作る必要があったというのです》
鎌倉大仏=武士の都を宣言する壮大なモニュメント
ー鎌倉幕府=12世紀終わりに成立した最初の本格的武士政権ー
《後の武家政権のトップ、豊臣秀吉や徳川家康も最初の武士の都鎌倉を訪れました》
《この、海からまっすぐ伸びる先に二人の参拝した場所があります》
ー鶴ヶ岡八幡宮ー
・鎌倉幕府初代将軍・源頼朝が建立
**・鎌倉の町と武士のいわば守護神といえる神社
・治承四年、源頼朝は鎌倉に入り、鶴ヶ岡八幡宮の造営にとりかかる**
ー伝・源頼朝像 登場!ー
源頼朝の義兄弟 足利義兼殿
~鶴ヶ岡八幡宮 楼門(重文)~
《細部に至るまで緻密な絵が描かれています》
《そして御覧ください、あの扁額!八幡宮の「八」の字が鳩をかたどっているんですよぉ》
ー鳩は八幡宮の神様のお使いとされるー