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twitter003(2012.11-2012.12)

「移動術家」用に抜き出し
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KAWAHARA @no_position
@battttttt 各実践者のセットにみられる相違点を全部捨て去って、共通点だけを抽出したらそれがPKなんだって言えませんかね?たぶん他のいろんなモノに隠されちゃって自分たち自身も気づいてないような根底に在る何かです。根拠は全くないですが自分はそんな気がしてます。
KAWAHARA @no_position
全部捨て去った結果、"PARKOUR"という言葉だけが残ったりして。すると「~とは、ただの言葉だ」というどこかで聞いたような話になる。ある意味で正解か。
KAWAHARA @no_position
Méthode naturelleに限らず人間の活動を「フィジカル、メンタル、モラル」で考えると面白い。日本語の「心身」て言葉だと「心」がメンタルだけもしくはモラルとごっちゃになってる感がある。「メンタルが弱い」と「モラルが欠けている」を、同じ「心が弱い」で表現出来るのが危うい。
KAWAHARA @no_position
「道教の中心概念の『道(タオ)』とは宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指し、自然/無為と同義とされ、陰陽思想で説明される。修行により「道」と一体なることを究極の理想とする。修行法は呼吸法や歩行法、食事の選び方、住居の定め方、房中術まで様々である。」(Wikipediaの記事を再編)
KAWAHARA @no_position
「禅とは全て人が自身の内に本来そなえている仏性を再発見するため、 坐禅を継続する中で己自身に対峙し、仏教的真理に接する体験を経て、そこから新たな価値観を開拓することを目指す。その悟りから物事をありのままに把握し真理を見極める境地に至り、その後に人々を導くことを目的とする。」(同)
KAWAHARA @no_position
どちらもわかったようなわからないような。結局、言葉や文字で定義して説明すること自体がナンセンスなんだと思う。禅でも坐禅で到達する境地は、言葉や文字を理解することでは得られないとしている。結局は習うより慣れろ、実践あるのみか。
KAWAHARA @no_position
それでも折角なので言葉遊び。これらを例えにPKで考えてみると、それぞれの「道(真理)」「悟り(智慧)」がPKにおける「強さ」で、「修行(仙道)」「坐禅(禅定)」が「トレーニング(PK)」かな。 以上、禅問答。
KAWAHARA @no_position
「走ることは彼らを人間にしただけではない。それは彼らを"よりよい"人間にしたのだ。」(『BORN TO RUN 走るために生まれた』p347より)
KAWAHARA @no_position
「愛する能力と"走ること"を愛する能力にはなんらかの関係がある。どちらも自己の欲望に執着せず、欲しいものはわきに置いて、いま手にしているものに感謝することが大切だ。忍耐強く、寛大で、多くを求めずにいることにかかっている。」(同 p140)
KAWAHARA @no_position
「ウルトラランニングは人と競うためにあるのではない。自分自身の限界を知り、そしてそれを超えるためにあるのだ。そして、長く走ることで、人間が本来もつ、走るという喜びを感じることができるのである」(鏑木毅/同書解説より)
KAWAHARA @no_position
『BORN TO RUN』の中で「人は長く走るために進化した」という学説が出てくる。人は進化の過程で筋力とスピードを失う代わりに持久力を手に入れたというのだ。そして、その長く走るという能力によって生き抜くことができたという。
KAWAHARA @no_position
その説明の中で「持久狩猟」というものが出てくる。獲物の動物を何時間も走って追いかけて、獲物の体温が上昇して動けなくなったところを狩るというものである。最初は読んでてホントかよと思ったがYoutubeに動画があった。http://t.co/2gUxwZmj
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KAWAHARA @no_position
持久狩猟は長く走る能力だけでは成り立たない。さらに獲物を追跡する技能が必要となる。獲物の痕跡を観察/分析し、動物になったつもりでその動きや行き先を論理立てて推理する。こういった複雑な思考ができるように人の脳が進化したことで持久狩猟が可能なものとなった。
KAWAHARA @no_position
あと、持久狩猟の「推論的狩猟」部分は純粋に技術的な意味だけでのスカウト(斥候)の始まりなんじゃないかと思った。もしそうだとしたらこの学説から"BORN TO SCOUT"って言える。 自分はパルクールも本能的なものだと思うから、"BORN TO PARKOUR"もありだと思う。
KAWAHARA @no_position
パルクールの理想と現実に矛盾している部分があるとしても、そのどちらかを否定することでその問題を解決するのは間違いだと思う。両方を包括できる認識が必ずあるはずで、そこを目指すべきだ。
KAWAHARA @no_position
パルクールに対する世間一般のイメージが誤解だとか正しく理解されていないという嘆きを聞いたり自分でそう思ったりする度に、自分も他のスポーツや物事に対して無意識の内に同じ様な誤解をしてるんだろうと考える。こういうのは大抵、対象への関心がそれほど高くないから起きる誤解だ。
KAWAHARA @no_position
『論語』より、 「これを知る者は、これを好む者に如かず。これを好む者は、これを楽しむ者に如かず。」(※如かず=及ばない、かなわない。) 出来るということより、好きであることより、何より楽しめるということ。
KAWAHARA @no_position
論語より 「心の欲する所に従いて矩を踰えず」 これがまさに自分の考えるモラル的な強さだ。孔子が「七十にして〜」と言う位だから相当なものなのか。果たしてPK/FR/ADDでこの強さが身に付くと言えるんだろうか。
KAWAHARA @no_position
Yamakasiに見られるモラル的な強さはADDそれ自体というより、彼らの置かれた環境や境遇があってこそのものなんじゃないかと思ったり。それらを含めてADD?

コメント

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