ウェーバー『職業としての学問』まとめ

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読書メモ @masashy_log

学問の領域で「個性」をもつのは、その個性ではなくて、その仕事(ザッヘ)に仕える人のみである。(ウェーバー『職業としての学問』)

2012-11-30 15:42:47
読書メモ @masashy_log

学問上の「達成」はつねに新しい「問題提起」を意味する。それは他の仕事によって「打ち破られ」、時代遅れとなることをみずから欲するのである。学問に生きるものはこのことに甘んじなければならない。(ウェーバー『職業としての学問』)

2012-11-30 18:31:52
読書メモ @masashy_log

文明の絶えまない進歩のうちにある文明人は、その思想において、その知識において、またその問題において複雑かつ豊富になればなるほど、…「生きることに飽く」ことはできなくなるのである。(ウェーバー『職業としての学問』)

2012-11-30 19:12:18
読書メモ @masashy_log

一般に自然科学は、もし人生を技術的に支配したいと思うならばわれわれはどうすべきであるか、という問いにたいしてはわれわれに答えてくれる。(ウェーバー『職業としての学問』)

2012-12-03 23:52:47
読書メモ @masashy_log

予言者や煽動家は教室の演壇に立つべき人ではない(ウェーバー『職業としての学問』)

2012-12-07 15:35:29
読書メモ @masashy_log

こうしたばあいもありうるということは、なんらそうであってもいいということの証明にはならない。(ウェーバー『職業としての学問』)

2012-12-07 15:50:56
読書メモ @masashy_log

有能な教師たるものがその任務の第一とするべきものは、その弟子たちが都合のわるい事実、たとえば自分の党派的意見にとって都合のわるい事実のようなものを承認することを教えることである。(ウェーバー『職業としての学問』)

2012-12-07 16:00:00
読書メモ @masashy_log

学問が把握しうることは、それぞれの秩序にとって、あるいはそれぞれの秩序において、神に当たるものはなんであるかということだけである。教室で教師がおこなう講義も、この点を理解させることができればその任務は終るのである。(ウェーバー『職業としての学問』)

2012-12-07 22:04:44
読書メモ @masashy_log

各人がその拠りどころとする究極の立場のいかんに応じて、一方は悪魔となり、他方は神となる。そして、各人はそのいずれかがかれにとっての神であり、そのいずれかがかれにとっての悪魔であるかを決しなければならない。(ウェーバー『職業としての学問』)

2012-12-07 22:09:12
読書メモ @masashy_log

こんにち一部の青年たちが犯している誤りは、…かれらは講義者のなかに、そこにかれらにたいして立っている人ではない別のある人――つまり教師ではなく指導者――をもとめていることにあるのである。(ウェーバー『職業としての学問』)

2012-12-07 22:29:18
読書メモ @masashy_log

ある人を偉い学者や大学教授たらしめる性質は、かれを実際生活上の、なかんずく政治上の指導者たらしめる性質とは違うのである。(ウェーバー『職業としての学問』)

2012-12-07 22:51:19