ほんとうは、ぼくもこうやって心を許したひとたちと、たわいもない話をツイッターでしていたんだよなー。ささいなことで俳句とかよんだりw 震災後には,復興支援特化アカウントのようになってしまい(仕方ないし覚悟の上なんだけど)、発言の自由度はかなりなくなってしまったねえ。
2012-12-19 02:16:32(なんだかめんどくさいですねぇ。いまのよのなかは)@itoi_shigesato ( ああ、めんどくさかったなぁ。いまの世の中は、なんだかめんどくさいなぁ )
2012-12-19 02:27:53世の中、ますますフクザツでメンドクサクなっている。それがイキニクサにつながっている。そんな世の中をシンプルに、できるだけシンプルにするための考え方を追求してきて、構造構成主義というややこしそうでシンプルな原理が生まれた。ぼくはめんどくさいのが好きじゃないのだろう。
2012-12-19 02:33:55なぜ俳句が好きなのか。それはシンプルだからかもしれない。創作意欲が湧いたときに、論文を書くのは大変だし、絵本を書くのだって大変だし、本を書くのはほんとたいへんだし、だいたいのことは大変だが、俳句は(出来不出来を選ばなければ)わりとすぐにできる、ということもある。
2012-12-19 02:36:16状況と 目的に照らし 選ぶ方法 (方法の原理の俳句版。字余り。さらに俳句風に言い換えてみる)→ 現在と 未来に照らし 光る方法 酔っぱらわないとツイッターには書けないなぁ。覚悟のうえとはいえ失ったものも大きい。まあいいか。
2012-12-19 02:48:47みんな自由になろうとして不自由になっている。他人の首を締めていたら自分の首だったという、そんなあべこべなことがおきているのがいまの世の中なのかなぁ。不思議の国のアリスじゃないけど、ねじれた鏡のようなこの社会。
2012-12-19 02:56:53他人を蔑むことで、自分が幸せになるということはぜったいにない。なぜなら他人を蔑んだら、蔑むに値するようなニンゲンだらけの不毛な世界でそのひと自身が生きなければならなくなるから。そんなに辛いことってないとおもう。
2012-12-19 03:00:53自分が「よい」と思うことを実行するのに、ほかのひとを蔑むひつようはない。そんなことはしなくても「よい」と思うことを実行することはできる。
2012-12-19 03:04:56蔑むことと反対することは違う。もっとこうした方がよいと思う主張することと、異なる考えを持つ人を蔑み罵倒することは違う。心は平和な状態で反対意見をいうこともできるはずだ。そしてその方が相手に耳を傾けてもらえるはず。罵倒に声に耳を傾ける人間はいない。自分ができないことは誰もできない。
2012-12-19 03:17:52みんなその中身は違くても,幸せにいきたいとおもっているはずだ。幸せにいきたいなら、他人を蔑む心はできるだけもたないほうがいい。誰もがその人なりに一生懸命生きている。情けは他人のためならず、というのはそういう意味もあるのかもとなんとなくおもいまする。
2012-12-19 03:25:47「唯一の正しさの箱」に入ってると、自分以外の「正しさ」は認められなくなる。違う考えを認められなくなる。自分が正しいと思うたためには、自分の考え方以外は間違っていると思わなければいけなくなる。すると相手を蔑み、不毛な世界で生きなければならなくなる。ゆえに幸せに生きれなくなる。
2012-12-19 03:33:16ではどうすればよいか。自分は異なる考え方のひとを蔑む傾向があると思ったなら、「正しさの箱」「正義の箱」「優劣の箱」といったたぐいのメンタル箱に入っている可能性があるので、まずその箱を可視化して,その箱から出ると決意します。
2012-12-19 03:35:58次に、たとえば、世の中に起きるすべてのことを学びとしてとらえる「学びの箱」のように、自分にあった箱,自分が幸せに生きやすい箱を選んで(作って)入ります。すると自分と異なる考えの人を,なぜこのひとはこういう考えをするのだろう,といったように学びの対象になります(蔑む対象ではなく)。
2012-12-19 03:39:24そのほうが相手との関係性もよくなるし,自分の意見も聞き入れてもらいやすくなるし(相手に変わってもらえる可能性が出てくる)、何よりも自分が不毛な世界で生きなくてもよくなります。よいことしかありません。
2012-12-19 03:40:54よいことしかないことはする。誰も幸せにならないことはしない。そうしてシンプルに生きるひとが増える分だけ,世界はより平和になっていきます。久しぶりの(震災前はときどきやっていた)真夜中の役に立たない授業終わります。
2012-12-19 03:43:14