運そば

博多の年の締めくくり
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博多浪漫紀行 @Facata_Romance

「運そば・1」 仁治3年(1242)の歳末、町は不景気のどん底で迎春の準備どころか食べ物にも事欠く人達が多勢いました。 そんな時、誰言うとなく「承天寺へ行こう」と声が上がり人々は三々五々とお寺へ向かいました。

2012-12-31 11:41:02
博多浪漫紀行 @Facata_Romance

「運そば・2」 境内には袋が山と積まれ宋の商人謝国明が「さあ縁起直しのそばだ」と大声を上げ”かゆのもち(そばがき)”を人々にふるまっていました。こうして町の人々は新年に望みをつないだのです。 年越しそばの初めとも言われています。

2012-12-31 11:41:27
博多浪漫紀行 @Facata_Romance

「運そば・3」 果たして翌年は正月から沢山の船が港に出入りし景気は盛り返したと言われます。以来この故事にならい博多では「年越しそば」とは言わず「運そば」と呼ぶようになりました。 その後日本に帰化し謝太郎国明と改名多くの困った人達に施しを行ったと伝えられています。

2012-12-31 11:41:46