的川先生の宇宙研の昔話から。ペンシル時代はもちろん中学生なんでおらず、古い人に話を聞きに行くと「ペンシルの頃から」わたしがちゅうがくせいのころからやってらっしゃる方かあ。
2010-08-22 19:17:09糸川先生が亡くなった時に、上の世代の先生がもっと語るべきだったんだけども喋ってくれない。新聞記者が上の世代から順に断られて、的川先生まで来る。最後の糸川門下生である的川先生が断ると喋る人がいなくなっちゃうんで喋ってる。
2010-08-22 19:18:22ペンシル打つ時にレーダーがないんでレーダーの開発から、でも糸川先生は打ちたい。開発なんか待ってない。運動方程式をみて、発射角の設定はパラメーターにないから、水平でも打てる、といいだした。周りの人「理屈だなあ」
2010-08-22 19:19:55糸川先生だけじゃなくて、吉山さんのアイディアで吸い取り紙をいっぱい貼って破っていって、それをオシロスコープ繋いで、みたいなことやってる。影響力がある人間が「どうしてもやりたい」と思った時の力はすごい。糸川先生がやりたいっていったら誰も抵抗出来ない。
2010-08-22 19:21:18糸川先生にものを頼まれると、抵抗出来ない。予算が?とか聞けない雰囲気になってしまう。あらゆる人がそうだったらしくて、秋葉先生もそうだったらしい。
2010-08-22 19:21:571955年の糸川博士の新聞記事、ロケット機で太平洋横断ってあれ。あそこに映ってるロケットモデルは、予算ゼロで秋葉先生が作らされた紙製の風洞実験モデルだった。気に入った糸川先生、カメラマン呼んで庭で写真撮って、それが新聞記事に載った。
2010-08-22 19:23:13秋葉先生は試作一号機が記事に使われたのがショックで、なにか言われたら何に使われるかわからないから糸川先生の仕事はとにかく一生懸命やるようになる。
2010-08-22 19:24:47んでIGYの話。アメリカから、ロケット提供するから観測機提供したら、って話だったのを、日本だけで打上げまで持っていく。#rocketfes
2010-08-22 19:26:13IGYで、ロケットによる上層大気観測と南極観測の二本柱が立ち上がる。で、東大の長田教授が糸川教授の太平洋横断ロケット機の記事を思い出して、糸川先生にコンタクト。「あと2年で100キロに上がるロケット、出来ますか?」まだペンシル飛んでないのに「やりましょう」
2010-08-22 19:28:35糸川はチェロ、長田はハーモニカやってた。楽団の知り合いで、話もしやすかったらしい。 的「何度も糸川先生のチェロ聞かされました。あんまり大したことないと思う」
2010-08-22 19:30:34欧米だと楽器趣味な学者が多いんで、音楽から話にはいることが多く、糸川もチェロを持っていくことが多かった。手荷物で席もうひとつとって、金かかるから組み立て式のチェロを自作した。
2010-08-22 19:31:41