枝野氏「全部を把握していたのは吉田所長(当時)」に対する反論

「枝野元官房長官インタビュー要旨」 http://www.jiji.com/jc/zc?k=201302/2013022400071&g=pol を読んで、違和感がありました。 当時の状況を振り返って、反論を連続ツイートしてみました。
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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

多々、この見解には異論がある。というか、私の異論が向かう先は一点だ。 時事ドットコム:枝野元官房長官インタビュー要旨 http://t.co/jAIQNn8Abc

2013-02-24 22:06:58
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

私にとって異論があるのは、これだ。  http://t.co/jAIQNn8Abc 「例えば福島原発事故の場合、全てを把握できていたのは吉田昌郎所長(当時)だった。」

2013-02-24 22:07:58
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

3・11当時、状況を一番把握していたのは、東電福島第一原発吉田所長(当時)だと、約2年後の現在、枝野官房長官(当時)は答える。この一事で、枝野氏が現在も、当時の状況の把握ができていないことがわかる。(政治的な発言である可能性については、後述する)

2013-02-24 22:31:00
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

3・11大地震発生後。津波が襲い、危機に陥った原発サイトは、少なくとも4箇所。女川、福島第一、福島第二、東海第二。この後、過酷事故に陥った上に大規模な放射性物質の拡散させてしまったのは、福島第一だけだったが、他の3箇所も、危険な状況だった。

2013-02-24 22:33:34
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

3・11後、緊急事態に陥ってしまったのは、福島第一と福島第二。どちらも原子力緊急事態が宣言され、周辺に強制避難指示が発せられている。福島第一の吉田所長は、福島第二の状況を把握するゆとりも、権限も、情報もなかった。

2013-02-24 22:36:01
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

福島第一原発の吉田所長は、状況を一番把握できていた人ではない。3・11当日にメルトダウンの可能性を指摘していたのは、マスコミで発言したのは、日本国内では小出助教。日本時間で日付が変わる頃には英国BBCがその可能性を指摘している。

2013-02-24 22:40:06
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

3・11当日、福島第一原発、第二原発の全域、原子炉10機分、使用済み燃料プール11箇所が、電源喪失により、危機に陥っていた。中には、地震前から停止中で、燃料棒が原子炉に入っていないものもあったが、とにかく原発のサイト2つ丸ごとが制御不能に陥っていた。当然、当時者は広範囲に渉る。

2013-02-24 22:43:38
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

結果論で言えば、放射性物質の大規模放出が起きたのは福島第一原発であり、その所長は吉田氏だった。それは事実だ。しかし、大規模放出が連続する3月20日まで、吉田氏が状況をコントロールできていたとは思えない。吉田氏は、できる範囲でさまざまな指示を出していた。ただ、状況把握はできていない

2013-02-24 22:46:18
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

遠の昔にメルトダウンが起き、燃料棒の大半が溶け、圧力容器の中に存在しなくなった時点でも、吉田所長は「原子炉」を冷やすことに集中していた。なぜなら、彼にできた範囲の想像と対応は、それだけだったからだ。それ以上のことは、「想定外」だった。臨機応変の対応など、考える必要もなかった。

2013-02-24 22:50:14
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

吉田所長に事前に与えられていた情報と権限から言えば、吉田所長は全力以上を尽くし、現場に残った人たちも同様だったと思う。しかし、それはあくまで原発サイト内のことだ。当時必要だった状況の把握とは、日本が国家である以上、原発内だけでなく、付近の住民の状況も含むはずだ。

2013-02-24 22:52:45
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

3・11から数日間、東京電力福島原発の付近の状況をまとめて把握した資料を、私はまだ見ていない。市町村役場は通信インフラを失い、内部の状況も把握し切れなかった。福島県庁は、県庁の被災と連絡手段の途絶で、機能を喪失したかのようだった。場所を移した災害対策本部からマスコミに情報を出した

2013-02-24 22:56:02
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

3・11発生直後の警察・消防・自衛隊で、どれだけの状況把握ができて、それを国の監督官庁に提出できていたかは分からない。例えば自衛隊は仙台空港と付近の港湾の機能を喪失し、原発事故関係への状況把握は陸上中心にならざるを得なかった。

2013-02-24 22:58:47
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

3月12日の東電福島第一原発1号機で起きた、最初の爆発に関しても、自衛隊経由で政府に情報が届いた形跡はない。自衛隊も、地震と津波への対応にのめりこみ、情報把握で後手に回っていたことは否定できない。阪神淡路の教訓から、全力で地震・津波に対応しようとした結果なのかもしれない。

2013-02-24 23:01:21
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

1号機爆発前後に、放射性物質の広域拡散情報を得るべく動いた部署が2つある。文部科学省と、福島県庁だ。しかし、両者とも得た情報をそれぞれ、首相官邸や県知事に届けることができたかどうかは分からない。少なくとも、首相官邸には上がっていなかっただろう。福島県知事はどうなのか、分からない。

2013-02-24 23:04:03
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

福島県知事は、3月15日午後までマスコミの前に出てきていない。地震発生からそれまでの間に、県知事がどこにいて、どんな報告を受け、どんな指示を出していたか。原発事故調査報告書にも記載はない。阪神淡路大震災当時の兵庫県知事に対するように、これは今後、ぜひ解明されるべきだろう。

2013-02-24 23:14:56
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

そこで本筋に戻るが、3・11の原発事故発生時、状況を把握するキーパーソンは誰だったのか、という本題に戻る。べき論を書くならば、今日まさにコメントした、当時の官房長官枝野氏だったはずだ。ところが、東京電力は把握したことも把握できないことも報告しない。報告要求も無視する。

2013-02-24 23:17:17
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

東京電力に代わって、首相官邸に原発の状況を把握して報告すべき保安院の寺坂院長は、11日に官邸から逃走した。知識を持っていた原子力安全委員長斑目氏は、楽観的に状況を歪曲して推測して爆発の可能性を官邸に伝えることができず、信頼を失った。

2013-02-24 23:20:06
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

福島県庁は、首相官邸との連絡能力を失っていたようで、最初に福島県が半径2キロの避難指示を出したことは官邸に伝達されておらず、その直後に官邸が出した3キロの避難指示も福島県庁には事前に伝達されていなかった。両者は完全に意思の疎通を欠いていく。

2013-02-24 23:22:40
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

放射性物質の大規模拡散を測定で把握した文部科学省と福島県庁のモニタリング情報は、首相官邸に届いていない。つまり、状況を把握すべき官房長官の所に、必要な情報は届いていなかった。部分的には職務放棄や怠慢で。部分的には連絡能力の喪失で。部分的には連絡する意思と意欲の喪失で。

2013-02-24 23:25:33
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

したがって、今日の枝野氏のインタビュー談話になる。首相官邸は、福島第一原発局所の対応に注視せざるを得ず、そこでの状況把握が一番的確だったのは、東電本店ではなく、官邸駐在の東電役員でもなく、現場の所長だった。

2013-02-24 23:27:40
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

もし、3・11の状況把握の焦点を教訓としてあげるならば、準備していた連絡手段が失われた場合の代替連絡手段を準備して、官邸の対策本部との連絡を確保すること。そして、もう一つはそれぞれの組織が対策本部に出すべき情報と状況予測を、必ず官邸に出す義務の法令化だろう。

2013-02-24 23:30:32
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

おまけとして、今回のインタビューの内容に、枝野氏の政治的メッセージが隠されている可能性を指摘する。「キーマンは吉田所長なんだから、隠し立てしたら、許さないぞ」という東京電力への警告であるのかもしれない。

2013-02-24 23:33:01