木曾最期2013 河原合戦

木曾の最期の前段階にあたる『河原合戦』のまとめです。 平家物語諸本の描写とオリジナルエピソードが混ざっており、また時間軸も入り乱れていますがご了承ください。
4

四郎「前回までのあらすじだ。
膨大な数の鎌倉軍に宇治川・瀬田川の守りを破られた我らが木曾軍。
うち義経軍の目的は都の法皇を保護することにあった。
この時代、事実上の幽閉であっても法皇や天皇を擁する者が官軍と成りえた。
逆に言えば、法皇や天皇を奪われたが最後、賊軍と成り果ててしまうという危ういものでもあった」

巴御前 @tomoe_gozen_bot

今井の兄上が固めていた瀬田も破られ、楯・根井殿の守っていた田原方面も突破されたという知らせが…!…まもなく鎌倉の軍勢がこの都に…!?#木曾最期2013 #都落ちなう

2013-01-20 18:08:59
巴御前 @tomoe_gozen_bot

かくなる上は法皇様を北国にお連れ参らせるしか……。いざ法住寺へ! 者ども、御輿を用意せよ!#木曾最期2013 #都落ちなう

2013-01-20 18:10:34

四郎「平家物語諸本では、義仲様は法皇を連れて西国へと落ち、平家と協力しようと考えていたとも記されている。
しかし……」

巴御前 @tomoe_gozen_bot

…って、法皇さまいない!? やられた!! #木曾最期2013 #都落ちなう

2013-01-20 18:11:29

四郎「しかし院御所には既に義経殿らが入り、法皇を保護していた。
これにより我らは官軍から賊軍へと成り果てた。
そしておびただしい数の鎌倉軍はなおも都に攻め入ってきている」

巴御前 @tomoe_gozen_bot

。oO(だめだ……このままモタモタしていたら鎌倉の軍勢が上洛してしまう……!)ああ!もう仕方ない!御輿は捨てよ!!すぐに急ぎ返して義仲様をお守りするぞ! #木曾最期2013 #都落ちなう

2013-01-20 18:14:20
巴御前 @tomoe_gozen_bot

「はやこれまで」と思った者は正直に申し出よ!急ぎ物の具捨てていずこなりとも落ちるがよい。但し、少しでも木曾殿の御恩に報いんとするもののふは、最後まで付き従え。この私が黄泉路の供をする。「我こそは」という者は、存分に最後の奉公せよ!#木曾最期2013 #都落ちなう

2013-01-20 18:20:14

四郎「そして声援に応える巴」

巴御前 @tomoe_gozen_bot

ありがとう!最後まで義仲様をお守りしてみせます!@Chako46evian @tomoe_gozen_bot巴ちゃん、ガンバって^_−☆

2013-01-20 18:25:22
木曽義仲 @K_Yoshinaka

いいか皆の者、私を守るために戦うな。自分自身を守るために戦え、生き延びるために戦え、一人でも多く生き延びろ!! #木曾最期2013

2013-01-20 20:36:02
木曽義仲 @K_Yoshinaka

京の都は鎌倉軍に包囲された。私は兼平を瀬田方面に、根井と楯を宇治川方面に向かわせた。兼光は新宮十郎の叔父上討伐に行かせている。宇治川戦線は崩壊、瀬田戦線も絶望的。 私は都からの脱出を試みた。再び生きて兼平に会うために。 #木曾最期2013

2013-01-20 20:51:24

四郎「御所には既に義経殿が入り、都にはなおも大軍が義仲様を討とうと攻め上ってくる。
己の死を悟った義仲様は、涙を流しながらかくのごとく申されたと伝え聞く」

「こうなることを前もって知っていたならば、今井を瀬田にはやらなかった。
幼少竹馬の昔より、死なば一所で死なんと契っていたものを、別々の場所で討たれるのは悲しいことだ。
今井の行方を聞きたい」

木曽義仲 @K_Yoshinaka

多勢に無勢だな完全に(苦笑) だがな、生きて兼平に会うんだ、絶対に! ぬぉぉぉぉぉ!! #木曾最期2013

2013-01-20 21:52:10

四郎「そして義仲様は馬を瀬田に向けて走らせた。私と生きて再び相まみえ、そして共に死ぬために――」

畠山重忠 @Shigetada_bot

女に追立られたるも云甲斐なし、又責寄て女と軍せん程に不覚しては永代の疵、多者共の中に、巴女に合けるこそ不祥なれ、但木曽の妾といへば懐きぞ、重忠今日の得分に巴に組んで虜にせん、返せ者共とて取て返し、木曽を中に取籠て散々に蒐、畠山は巴に目をぞ懸たりける(盛衰記) #木曾最期2013

2013-01-20 18:58:36
畠山重忠 @Shigetada_bot

進退き廻合んと廻ければ、木曽巴を組せじと蒐阻々々て、二廻三廻が程廻ける處に、畠山、巴強ちに近く廻合。是は得たる便宜と思、馬を早めて馳寄て、巴女が弓手の鎧の袖に取附たり。巴叶じとや思けん、乗たる馬は春風とて、信濃第一の強馬也。(盛衰記) #木曾最期2013

2013-01-20 18:59:52
畠山重忠 @Shigetada_bot

一鞭あててあふりたれば、冑の袖ふつと引切て、二段計ぞ延にける。畠山、是は女には非ず、鬼神の振舞にこそ、加様の者に矢一つをも射籠られて、永代の恥を不可残、引に過たる事なしとて、河原を西へ引退き、院御所へぞ帰参ける。(盛衰記) #木曾最期2013

2013-01-20 19:01:23

四郎「一方、源平盛衰記ではこの敗走中に、六条河原にて巴と畠山重忠殿の戦闘があったと聞く」

畠山重忠 @Shigetada_bot

本日は義仲殿命日。この日私は宇治川を馬筏を組み500騎を渡らせた。そして木曾家人と名乗りし長瀬重綱の頸を取り軍神に捧げ合戦を開始。木曾勢は我ら500騎、続く河越、佐々木、梶原の軍を突破し逃れる。私は上洛し御所へ参内した後に六条河原に義仲殿を追い戻る。 #木曾最期2013

2013-01-20 20:23:14
畠山重忠 @Shigetada_bot

そして木曾四天王に非ぬ、萌黄威の剛腕の武者と馳せ合い此れは誰かと驚くと、本田によると義仲の愛妾・巴という女である。女に追われたとはこの畠山の恥、いざ生け捕らんと追い鎧の袖に掴み掛かるに、落馬もせず馬を走らせ逃れる。これは女にあらず鬼神の振る舞いと感心した。 #木曾最期2013

2013-01-20 20:23:47
畠山重忠 @Shigetada_bot

私が木曾勢と相見えたのはそれが最初で最後であった。私はそのまま御所の警護へと戻っている。ただ、平家都落ちの前に私の父・重能は、斎藤実盛と共に北陸から攻め上る木曾軍を平家軍として戦った。幼き日の駒王丸を逃す手引きをした彼ら二人と義仲殿の三人の数奇な運命である。 #木曾最期2013

2013-01-20 20:24:24

四郎「さて時間は少しさかのぼる。
義仲様は六条高倉の伊子様と、最後の別れを交わされていた。
名残惜しさもあったのだろう。
敵軍が迫っているにも関わらず、義仲様がなかなか出てこない事に業を煮やした家人(名前は諸本によって異同有り)が自害をして、義仲様の出立をうながした。
源平盛衰記では越後中太能景殿がこのように言って腹を切る」

「弓矢取る身の心を移すまじきは女なり、只今恥見給はん事の口惜さよ」

四郎「女人に情を移したがために悲劇は起こった。
身を犠牲にして主を進めようとした彼らのために、義仲様は以降、女人への情を断ち切ろうとしたのではないか。
それが巴との別れを決意させる一因となったのやもしれぬ」

巴御前 @tomoe_gozen_bot

宇治・瀬田が鎌倉殿の軍勢に破られ、いよいよ都に迫って参りました。我等は法皇さまを供奉して北陸に落ちようと試みましたが、それも失敗。無様にもあわてふためきながら都を捨てることになってしまいました……。#木曾最期2013 #都落ちなう

2013-01-20 21:40:46
巴御前 @tomoe_gozen_bot

皆々、よく聞くがよい。都のゆかりの者は今のうちに、別れの挨拶をして参れ。おそらくこれが今生の別れとなろう。命が惜しくば残れ。命を惜しまぬ者だけが、我が背に従うべし。#木曾最期2013 #都落ちなう

2013-01-20 21:43:34