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自分の事は一番自分がわかっていると昔は思っていたけれど、どうも自分は自分の事を思っているより知らないのではないかと思うようになった。もっと言ってしまえば、自分がわからないどころか自分はコントロールが利かないと感じている。
2013-03-08 08:55:33![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
私達が自分と呼んでいるものは意識できている領域で、そこで起きている事はある程度説明ができるけれど、でも本当は無意識の領域は思いのほか大きくそこが起こす事は自分にとってはまるで他人的に捉えられる。脳が把握して判断してもそれが無意識の領域であれば自分がやったとは感じにくい。
2013-03-08 08:58:49![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
僕は競技をやっていく上でモチベーションと心理がとても重要だったから、自分を観察していたけれど、その作業は自分が感じている事を探るというより、自分の表情や行動言動から自分の心理を推測するような作業だった。誰かに会い愛想笑いをしている自分を観察しておいて、あとで推理する。
2013-03-08 09:00:08![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
現役の時、自分がしゃべっているインタビューを後で聞いてこれは危ないと思ってハードルを封印する一年を取った。僕は妙に興奮していて、前のめりにしゃべっていて、これはあと北京までの2年持たないと思った。だから休む意味でもハードルを止めた。
2013-03-08 09:03:00![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
自分の状態を完全に観察するなんて難しいから、鏡が必要になる。それは自分を他者的に見る事で、他人を観察するように自分の振る舞い、表情、声のトーン、気分で察するしかない。僕が社会に出て驚いたのはみんな想像以上に自分を推理していないという事。だから限界までいって燃え尽きる。
2013-03-08 09:04:24![](https://tgfile.tg-static.com/static/web/img/placeholder.gif)
【終わり】自分はこうであるべきだという考えが強すぎる人は、自分を観察する時に、自分で自分を裁いてしまう。でも残念ながら自分は自分でしか無く、そして裁いている基準は自分が人生で周辺から押し付けられた価値観である事が多い。自分を他者として扱い、眺め、あるがままを受け入れる。
2013-03-08 09:08:44