- leaf_parsley
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1.今日載せるべきか迷ったのですが、311から二年の間に色んな分裂や対立を見てきて、どうにかその絡まった糸をほぐせないかと書きました。10月の東洋大での報告を文章化したものの一部です。 http://t.co/OZzzLNKsS9
2013-03-11 23:02:212.第一章「事態の推移ニーズの推移支援のあり方」ではこれまでを振り返り、限定された情報や状況の中でいかに避難や防御が困難だったかを書きました。 http://t.co/OZzzLNKsS9
2013-03-11 23:05:473.第三章では、なぜ個人・家庭・地域で放射能に関し分裂が起きるのかどう話し合えるか考えました。i.直感的な判断、ii科学的な判断、iii価値観(家族観・生活様式等)を含む判断 iv政治・経済も含むマクロな判断と層があることが重要かと。 http://t.co/kkxl2WngKI
2013-03-11 23:10:474.第四章では、最終的に「でも結局福島の人や関東の人や子どもは辛い思いをする必要がなかったし、直接的な責任はないよね」と言いたくて書きました。 http://t.co/lj57M1OjOG 『当事者の多様な判断と選択を尊重する支援』―原子力災害における支援活動等の経過とその課題―
2013-03-11 23:12:465.3年目に放射能についてますます話しにくくなるのが怖いです。放射能汚染の問題は、結局話し合い合理的に行動することでしか解決しないと思います。 『当事者の多様な判断と選択を尊重する支援』―原子力災害における支援活動等の経過とその課題― http://t.co/OZzzLNKsS9
2013-03-11 23:15:266.私自身もまだ全然考えがまとまらないですし、どの程度意味のあることが出来ているか、私の行動が誰かを傷つけていないかと毎日不安になります。でも、もう少し「当事者の判断や選択を尊重する支援」が出来るのじゃないかなと思っています。 http://t.co/OZzzLNKsS9
2013-03-11 23:17:387.家族が分かり合えなかったり、友達とうまく話せなくなったり、子どもが将来を不安に思ったりするのが続くのは悲しいです。原発事故が起きてしまった以上、一つの「正しい答え」はないと思う。だけどもう少し分裂しない方法があるのではないかと。 http://t.co/OZzzLNKsS9
2013-03-11 23:23:18まとめ作成後の会話
@leaf_parsley @ikasumi0 例えば、「放射能よりストレスのほうが」って言われるんですが、じゃあその放射能ストレスを軽減するためにはどういう方法が効果的か?というところまでは中々考えてもらえない。 保養プログラムはストレス軽減のための最高な方法だと思うし、
2013-03-11 23:47:02@leaf_parsley @ikasumi0 それこそ、子ども達だけじゃなくて、じじばばも、「ちょっと会津の温泉に浸かってくるわね」って言って気軽にでかけていいと思うんです。
2013-03-11 23:48:22@leaf_parsley @ikasumi0 だって、「やっかいな放射能」がそこらじゅうにあるんですから、そりゃあ、気になるし、掃除や炊事や洗濯だって、手が抜けない。異様に怖い姑が四六時中監視してるようなもんです。
2013-03-11 23:50:43@leaf_parsley @ikasumi0 愚痴言い合ったり、プチ避難したり、(あるいは本格避難でも)何でもありで心理的な負担も軽減してかないと、、もたないんじゃないか、(線量だけじゃなくて、線量管理しなくちゃというプレシャーや、色々) って思ったりしました。。
2013-03-11 23:58:20@leaf_parsley はい、私もそのように思います。ストレスを取るか放射能を気にするのを取るかじゃなくて、どちらも軽減してほしいというのが普通だと思います。そもそも放射能を我慢しなきゃいけない義務は、福島・関東等の人にはないのですから。 続
2013-03-11 23:54:16@leaf_parsley 続)でも「放射能あるのは仕方ないから」で物事が進んでいくのが怖いです。当事者の人や子どもが言うならまだ分かるのですが、外部が勝手に「福島の人は放射能を受け入れました」と喧伝するのは、復興を応援はするだろうけど、根本的な解決になっていない気がします。
2013-03-11 23:56:08@leaf_parsley 続)私が「宮崎の人」を代表できないみたいに、誰かが「福島の人」を代表することはできないと思います。一人一人判断や考えが異なり、制度の形成の際には色んな立場がぶつかり合うのは当然です。個人のレベルでは違いを認め合い許しあうことができればいいなと思います
2013-03-11 23:58:57@ikasumi0 同意です。 安東さんが、「いつでも避難を選べる、本人が帰還を選べるような補償体制を」というような事をおっしゃっていたんですが、 まずはそこからかな、と思いながらお聞きし、今も読みながら考えていました。
2013-03-12 00:05:17@leaf_parsley @ikasumi0 異なる考え方を否定してしまって一律に均してしまう体制では、その一律からはじかれた人には選ぶ術がないですし、見捨てられた感に捕らわれてしまいます。仮に結果として似た方向を選んだとしても、それは結果であって先回りはしてはいけないです。
2013-03-12 00:08:08@leaf_parsley 異なる考え方を相手に議論することはいいと思いますが、完全否定するのは良くないと思います。私個人は「放射能は出来る限り回避したほうがいい」という立場からは出られないと思うのですが、意見が違う当事者の人がなぜそう考えるのか認識し、対話するようにしています
2013-03-12 00:25:16@ikasumi0 そのあたりで自分が困るのが、「それは知識として違ってないか?」と思う箇所がでてきてしまうとこなんです。判断ではなくて。
2013-03-12 00:27:19@leaf_parsley @ikasumi0 だから、対話の中で、互いに知識的な違いと それに対する判断とを 区別しながら対話できるといいなあとは思うのですが、、、
2013-03-12 00:29:38@leaf_parsley 私個人は正直知識の部分に自信がないので踏み込まないです。責任が持てないと思ってしまいます。どちらかというと、当事者の方が自分で決めた「選択」の一つを手伝っている感じです。そのスタンスが妥当かは分からないですが…答えは出ないですね。では、失礼します。
2013-03-12 00:51:07@ikasumi0 自分は、知識の方からでは、どこまで選択の余地が与えられているのか?を考えることをやってきたので、どうも、そこを無視することができないんです。つまり「責任を持って大丈夫だと言える範囲とは、どういう理由で、どこまでを意味しているのか?」ですね。
2013-03-12 06:50:33@ikasumi0 私も「放射能は出来る限り回避したほうがいい」という立場は同じです。多分、個人個人の違いは、「できる限り」の意味合いにあるのでしょうね。「何をさておいても」から「無理なくできる範囲で」までが線量応答的に存在してて、各々が考える自分の位置づけが違います。
2013-03-12 06:58:24