- L_O_Nihilum
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あらゆるゲームの進化を受け止め、その発展形の一つの呈示としての意味合いもあった(ゲームが20世紀の儘今に至ったらどうなるかを描いたもの、とは紅魔郷おまけで言っている)。
2013-03-31 12:39:09だが当然ながら、この流れというのはZUNが作る東方というゲームが、及んで「東方Project」という界隈を作り出す(つまりAという政策に対する状況A',国民感情A''と言う事だ)。ZUNの言う進化は、A''の場所までは計算されていない
2013-03-31 12:40:13寧ろ作品の進化としてのXX→X→の進化過程としてのAを提出したのみ。時代が21世紀となり、作風やあらゆる環境状況が変化した場合を、想定しなかったものとしての、Aである(だから『21世紀の20世紀延長線型STG』と彼は言う)
2013-03-31 12:41:24特殊な例外的なもの、を作り出したため、それは当然ながら「’’」の場所にも彼の想定しざる環境が出来た(というかAを呈示したことによって、独自のA'が出来、A''が出来た。ZUNとしてはA状況に対しての別のα環境を考えていたという事だろう)
2013-03-31 12:42:43東方という名状は遊離して、作品固有…勿論それもあるが、そのシリーズをくくるネーミングであるものから、東方という一連の創作享受界隈を名指す外的な用語として定着した(注意しよう、飽く迄東方ProjectとはZUNの作る東方の名を持つ作品群のことで、定着したのはそちらではない)。
2013-03-31 12:44:29【飽く迄も原作としてのそれと界隈での認識としてのそれを分けて扱うのは当然だぜ…批評家はいつのまにかこのあたりを混同しクラスタとしてアーキテクチャにして論じる】
2013-03-31 12:45:24だいたい、批判的な提案すら、「自分の理想」とはぐらかされて無視される世の中。想像力が育つわけがなく。不思議は墓場に眠るだろう。『御柱の墓場~Grave of being』
2013-03-31 12:46:49不思議が無ければ、想像力は働かず、よって信仰も起らない。当然、他人への興味も失せる。サイコパスで言えば槙島の最後の言葉が思い起こされる。他者が必要なくなり、如何なる才能、関係もスペアが効く。
2013-03-31 12:47:46<他者>およびその意識がうせ、想像力が無くなり、子供たちは笑えなくなる。…夢違科学世紀にそんな感じのあとがきがあっただろう。
2013-03-31 12:50:49消費-情報社会化による他者と想像力の喪失。そこまでは殆どの批評家と結論は変わらないだろう。だがその先にこそ彼の声があろう。それは良かったのか?それは情報化が望んだ形か?
2013-03-31 12:51:50その結果としてゲームは創作共々廃れた創作のまま資金を経済出来るようになった。そのようでは、ゲームに未来はないどころか、たちまち困窮していく。そう警鐘を鳴らすための東方だったと僕は記憶している。
2013-03-31 12:52:49…まあ、そこまで都合の良い「A''」を望めるわけがないからこそ、それを理想化せず創作して東方が出来たわけでもあるが…当然、そういう己の理想をはっきりと発言、言明しなかったからこそ、界隈にはそれは伝わらないわけで。
2013-03-31 12:53:56つまり『リジッドパラダイス(硬直した楽園)』となるわけですよね。伊弉諾物質は幻想のものとなる。日本中の不思議を集めて、素敵な墓場で暮しましょ。
2013-03-31 12:54:30ゲームへの夢の凋落への実感、およびささやかな失望を、彼はいつまで描き続けるのだろう、幻想郷というキャンパスを通して。日本はとっくに出て行ってしまった、蘇る幻想のための東方Projectはもうない。とすれば、彼が描くであろう今の「東方」はどのようなものに・・・。
2013-03-31 12:55:44まあ、ほとんどの東方考察のクラスタが、ほぼ同じものを見つけつつある今、僕は目を瞑っていてもよさそうな気はする。とりあえず、「ZUNの意図」および東方、幻想郷そのもの、の光に少しでも触れた者は、気を付けたほうがいいだろう。それは今は滅んだ、狂おしいほどに魅惑的な夢だ。
2013-03-31 12:58:37『やめときな!気がふれるぜ?』