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「殺せ!」コールの経緯をちょっと調べてみた。まず、桜井が「殺戮戦」をしたのが2011年5月7日。その後、同7月9日の「排害社一周忌デモ」で「叩き殺せ」コールが飛び出し、八木がそれを「画期的」と評価。このあたりからタガが外れ始めたのでは。
2013-04-05 10:51:14桜井誠・在特会長による「殺戮戦」宣言
在特会 全国連続講演会 第三部 平成23年5月7日(土)
http://live.nicovideo.jp/watch/lv48274703?ref=ser
桜井誠・在日根絶やし宣言 3:03:00~3:08:00
殺戮期を乗り越えた時に国家は変わるんです。(中略)私は歴史を専門に見てきた。だからこそはっきり分かるんですよ。必ずこの国には殺戮戦が訪れる。在日韓国人・朝鮮人・そして反日極左、今ここで工作活動やってるバカとね、本気で命のやりとをやって叩き殺さなきゃいけない時が必ず来るんです(ここで大きく頷く荒巻)。
その時に皆さんにね、心の強さが問われる。泣いて許しを乞う相手を貴方達本当に一刀両断で切り捨てることが出来るか?と。大変厳しい選択です。朝鮮人であってもまだ子供です。この子供をでも生かしておいたらね、また同じ事を繰り返される。(徳川家康が豊臣家の6才の子供まで打ち首にし、根絶やしにした例を出し)生かしておいたら徳川幕府に必ず仇を成す、と。(中略)でも、その厳しさが無かったら徳川280年の太平は無かったんですよ。(中略)その覚悟を問い続けてきたのがこの4年半の『行動する保守運動』なんです。
いずれこの『行動する保守運動』も『戦う保守運動』に変化します。必ずです。その時我々が戦う相手はね、ひょっとしたら反日勢力だけじゃないかもしれない。冗談抜きで警察とやり合わなきゃいけなくなるかもしれない。さっき言ったようにね、京都府警どんなに拳銃持ってる公のヤクザたってたかが3千人ですよ。1万人で取り囲んだら我々の勝ちなんです。
敵を敵として認識しなさい。ただし、今は戦うだけの力が我々にはないから。今は一人でも多くの味方をどんどんどんどん引き寄せること。(中略)(殺戮戦まで)多分そんなに時間がないと思うんですよ。(中略)『日常覚悟』という言葉を皆さんの胸に刻み込みなさい。
上記発言が行なわれた講演会の実況まとめ

排害社一周忌デモと、その日の夜に行なわれた八木康洋・在特会副会長のニコ生



承前)有門もその前後からブログで「殺せ」を連発するようになった感じ。同年11月6日、桜井が朝鮮大学校前で「我々は朝鮮人を殺しに来た!」と宣言。 http://t.co/oiQ1MIupk6
2013-04-05 10:40:47「朝鮮人を殺しに来た!」宣言


承前)翌12月13日には金友が〈デモに初めてきたような女性や若者が「朝鮮人を殺せ!」と叫ぶ時代は、およそ十年前には想像もできなかった。〉 http://t.co/lf7V3c0ZcX という感慨を漏らしているので、その頃までにはかなり一般化していたと思われる。
2013-04-05 10:41:39金友隆幸・排害社代表(当時)の感慨

桜井の「殺戮戦」宣言は京都・徳島事件の有罪判決直後に行なわれたものなので、やっぱりあれが決定的な転機だったのだろう。「日本人の怒りの表れ」なんてもんじゃなく、ただの逆ギレ。ただしそれに共感する人間が一部いることは要注意。 http://t.co/vvzG8hppPs
2013-04-05 10:47:44参考まとめ(計7名に有罪判決)
参考:京都朝鮮学校襲撃事件(2009年12月4日)後・徳島県教組襲撃事件(2010年4月14日)前夜には運動の方針転換を訴えていた桜井誠・在特会会長

あの「殺せ~殺せ~」「出てけ~出てけ~」というチャントがいつ出てきていつ定着したのかは重要。歌になってるからね。あとオウム真理教の替え歌とか。
2013-04-05 10:55:44