ぼくがかんがえた分断日本

分断日本シミュレーションって案外少ないので、実際どうやったらどうなるのか考えてみた。俺得。いつの間にか新潟の地勢に関する話になっているのは抜群に秘密だ。
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現場猫教授 @Dr_crowfake

分断日本、極東ソ連軍6個師団くらいが常に駐留しているのだが、核ミサイルを配備したときはちょっと問題になった。でもまあ本土じゃないし? とか軽く流されたり。

2013-04-26 00:30:17
現場猫教授 @Dr_crowfake

この設定だと関東平野という大人口地帯に食料生産の余裕のないソ連軍が進駐したせいでバタバタ飢餓で人が倒れており、一方南日はマーシャル・プランでほくほく顔なのだけど泥棒政治家が上前をはねる。ちなみに朝鮮半島と中国は完全に赤化してます(台湾除く)

2013-04-26 00:33:06
現場猫教授 @Dr_crowfake

野坂参三政権下での南日統一工作は南日にとって頭の痛い問題であったが、それでも経済的には優越しているという自身があった。しかし満洲国帰りの革新官僚団が北日のテクノクラートとして実権を握るとじわじわと経済的にも追い詰められていく。

2013-04-26 00:35:32
現場猫教授 @Dr_crowfake

スターリンのいささか早い死後、改革開放路線に転換したベリヤ体制のもとで、満州国帰りの思想改造済エリートたちは北日の壊滅的経済を計画と実行で立て直したのだ。特に農業と工業のバランスには力が入れられ「主食の自活は工業の躍進となる」というスローガンのもと、東北穀倉地帯の開発が推進された

2013-04-26 00:39:00
糸畑要 @boreford

保守合同がなく自由・民主・共産の三党による数十年にわたるグダグダ談合政治の末、橋下維新が成功する西日本政府という風景。

2013-04-26 00:39:10
現場猫教授 @Dr_crowfake

また工業分野においても「5カ年計画」が推進され、焼け野原になっていた関東工業地帯の立て直しと新規工業製品生産のための援助をソ連から得ることに成功したのだ。この躍進は共産党書記、岸信介の手腕による部分が大きい。革新官僚だった彼は、思想改造を受けた後北日の官僚団の指導者となっていた。

2013-04-26 00:42:05
糸畑要 @boreford

なにかのはずみで生き残った大日本帝国、結局解釈改憲繰り返して大日本帝国憲法続行してそう。

2013-04-26 00:42:31
現場猫教授 @Dr_crowfake

このようにして北日は経済的復興を遂げた。しかし南日は、オールド・リベラルや穏健派官僚団たちを味方につけていたものの、国軍内に残る過激派勢力によりそれらが駆逐されてしまい、交戦意欲だけは強い無能な連中が主導権を握ってしまう。そして、1960年代に日本統一戦争が始まる……。

2013-04-26 00:44:23
現場猫教授 @Dr_crowfake

「南進の頃合いやよし」と好機を見出した岸信介は、フルシチョフとの連携のもと、大規模パルチザン工作と主要兵力の南進を開始する。これにあたり、勇戦敢闘する南日軍。箱根の攻防は激戦となった。しかしソ連の非公式な援助を得た制空権下での信州空挺大突破作戦が功を奏し、南日は総崩れになる。

2013-04-26 00:49:10
現場猫教授 @Dr_crowfake

この捷報を得て、南日内部のパルチザン活動も活発化し、南日の防衛網は麻痺状態になる。そこに岸は虎の子の機甲部隊を集結し、東海道突破を命令する。これに対し、米軍は「北日は侵略者である」決議を出そうとしたがソ連の拒否権で失敗、独自の軍隊を送り込まざるを得なくなる。

2013-04-26 00:51:48
現場猫教授 @Dr_crowfake

東海道で衝突する米軍増援部隊と北日機甲兵団の闘いは後者の勝利で終わったが、米軍はこのゲームを投げていなかった。大阪に戦力を集中し、北日の中枢、東京を狙う逆上陸作戦を実施する。だが、それは当然の策として北日首脳部に読まれていた。

2013-04-26 00:54:11
現場猫教授 @Dr_crowfake

千葉、茨城に上陸した部隊は快調に進撃を進めるものの、東京全面で足が止まる。補給艦をソ連と北日の潜水艦や小型艦艇が攻撃していたのだ。そして北日首脳部は「東京が焦土になろうとも、けして奴らを通すな」と死守命令を出していた。それに引っかかり大損害を受け補給もままならない米=南日連合軍。

2013-04-26 00:57:17
リリカル宮ミヤ @miyanoki_miya

@ninomae_fumi 本土決戦で想定されていたコロネット作戦ですね。さながら

2013-04-26 00:59:10
現場猫教授 @Dr_crowfake

この機会を逃さず、ソ連はウラジオストックから精鋭部隊を投入し、上陸軍を海に叩き返すという積極策を取る。機甲6個師団からなるそれは、新潟へと上陸した後、全般的航空支援を受け関東へと直進。関東をやけのはらにする大激戦ののち、上陸軍を房総半島まで追い詰めた。

2013-04-26 01:01:29
現場猫教授 @Dr_crowfake

そして北日の主力部隊は、今や名古屋を蹂躙し、瀬田まで迫っていたのだ。ここで中国から和平提案が持ち出される。「全面核戦争になるくらいなら、既得のラインで手を引きませんか?」両国とも悩ましいところであるが、これは確かに一利あった。北日は山梨、長野、静岡を得る。一方で米国は千葉を得る。

2013-04-26 01:05:50
現場猫教授 @Dr_crowfake

その後の和平交渉の結果、千葉と静岡を交換する代わりに、山梨、長野での北日占有権を認めるという決定がなされた。北日においては、大きな勝利であった。

2013-04-26 01:07:09
現場猫教授 @Dr_crowfake

この第1次日本戦争においては限定的な決着が図られたが、北日は以後ソ連・中国との関係を緊密にしていくことになる。一方南日は時刻の綱紀粛正なかりせば国家存続も難しいと、綱紀粛正に走ると共に米国の援助で経済大国への道を突き進む。

2013-04-26 01:11:57
現場猫教授 @Dr_crowfake

北日は東側陣営の優等生として東側諸国における貿易的有利を確立し、外貨を稼ぎ、それにより必要な資源をソ連から輸入できた。この体制により、北日はそれなりに豊かな部類の社会主義国家としてソ連崩壊までは生き残り続けられた。

2013-04-26 01:13:46
現場猫教授 @Dr_crowfake

一方、南日は復讐感情や民族意識に基づくレコンキスタ感情により北日への復讐を試みていたが、それより先にまずやらねばならんことは国内の体制立て直しと戦災復興であった。後者はアメリカの援助があったのでどうにかなったが、泥棒政治家が横行する体制の刷新は困難を極めた。

2013-04-26 01:15:35
現場猫教授 @Dr_crowfake

結果、南日においては辻政信陸将率いる憂国クーデター団が政権をひっくり返し、「天皇のもと、一君万民の維新体制を作る!」と呼号し、中央集権化と泥棒政治家の排除、そして官僚統制機構の充実に励むこととなる。この軍事政権は「淀川の奇跡」と呼ばれる経済発展と旧弊の掃滅に威を振るった。

2013-04-26 01:18:54
現場猫教授 @Dr_crowfake

南日の辻による維新体制は着実に成果を上げたが、当の辻はそのエキセントリックな性格から敵も多く、1979年には暗殺され、彼の意思を継いだ軍事集権体制は、やがてきたるべき民主化へのランディングを準備することになる。それは米国の意思でもあった。結果、南日は1988年に民主化する。

2013-04-26 01:21:59
現場猫教授 @Dr_crowfake

そしてソ連崩壊。ソ連は北日の後ろ盾となる能力を完全に失った。自然、その拠り所は未だに共産党独裁の続く中国となる。北日はその優れた技術力を中国に提供し、中国は軍事支援の見返りをよこす。そのようなパートナーシップが、両国内部で形成されつつあった。

2013-04-26 01:26:01
現場猫教授 @Dr_crowfake

そして、中国とひたすらに敵対を続けてきた南日や米国も、その関係を見なおさざるをえない状況になりつつあった。中国のバーゲニングパワーは素晴らしく、特に改革開放路線にいたってからはその経済成長は目覚ましいものがあった。ロナルド・レーガンの後を継いだブッシュは、親中融和路線を展開する。

2013-04-26 01:27:59
現場猫教授 @Dr_crowfake

1992年のブッシュ=鄧小平会談で、米国と中国は長らくの敵対関係を解消し、パートナーシップを転換していこうとの合意がなされた。これにより台湾などは憤激したが、南北両日は緊張が緩和されたことによりそれぞれの活路を見出した。北日は中国のパートナー、南日は米国のパートナーとしての。

2013-04-26 01:31:10