法哲学者大屋先生による憲法改正限界論と「我ら人民」

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住友陽文 @akisumitomo

どうも、憲法とは民主主義に優るという基本がわからない人が本当に多い。それは戦後日本の特徴なんだろうと思う。むしろ戦前の方がわかっていたフシがある。これは憲法学者たちがよく指摘することで、戦前の政党の名称には「立憲」と冠する事が多く、立憲主義を謳っていた。

2013-05-01 22:11:28
Takehiro OHYA @takehiroohya

>RT 趣旨がわからなくもないが、民定憲法なんだから当然に憲法自体も民主政の産物であってですね。戦前のように、国王大権に憲法で対抗せねばならぬというのとは構造が完全に違っているわけですよ。民主政の産物が民主政に優越するのだとか、何言ってるのかわかんない。

2013-05-02 13:01:48
Takehiro OHYA @takehiroohya

ここを言語化するなら、大きな民主政と小さな民主政とか、B.アッカーマンのように憲法政治と通常政治を分けて議論する必要がある。しかし(アッカーマンが批判されている通り)両者のメルクマールはよくわからない。それが明示できなければ、自分の気分を「我ら人民」の登場に託しているだけになる。

2013-05-02 13:05:42
Takehiro OHYA @takehiroohya

実物は未見だが、憲法記念日にあたって憲法制定権力と改正限界論の観点からの議論が展開されていたようであるところ、第一に「日本の憲法改正は難しくない」系のデマに比べればはるかにマシであってよい。しかし第二に、改正限界論は成功しない、あるいは成功しても意味がない。どういうことか。

2013-05-03 16:18:18
Takehiro OHYA @takehiroohya

「自衛隊を国防軍にすると今までできなかった何ができるようになるのか?」ということをまじめに聞いている人を見かけた。物理的に言えばそんなものがあるわけはない。物理的な行為可能性の範囲で比較すれば、自衛隊だろうが国防軍だろうが、一定の装備人員を有している以上変化があるはずはない。

2013-05-03 16:19:11
Takehiro OHYA @takehiroohya

では何が変わるかというに、事後的なものを含めた制度整備のやりやすさであり、それを含めた特定行為への《踏み切りやすさ》だと言うことができる。要するに心理的障壁の問題であり、それを除去する制度整備の難易度の問題ということになるだろう。

2013-05-03 16:20:15
Takehiro OHYA @takehiroohya

大災害を受けて被災者救済のために緊急出動する事態を考えよ。根拠法ヌキでも事後にきっと認められるだろうと踏み切ることは物理的に可能だが、腰は引けるかもしれない。「やっていいんだよ」と制度化してあれば心理的障壁が薄れるし、その前提としては法整備をしておく必要があるだろう。

2013-05-03 16:21:26
Takehiro OHYA @takehiroohya

同じことが憲法改正についても言える。そもそも改正手続自体を当該改正手続で改め得ないという議論の根拠も不明確だが、一応それを信じたとしよう。しかし実際のところ96条で一見合法的に96条を改正することが物理的には可能だし、民主的正統性のありそうな別の手続きに訴えてもよい。

2013-05-03 16:21:55
Takehiro OHYA @takehiroohya

具体例はあちこちにある。日本国憲法への改正は明治憲法の規定を逸脱していたし、アメリカ連邦憲法は連合規約の改正手続を無視したし、フランス第5共和政憲法は第4共和政憲法の改正規定によらずして導入されてしまった。だがいずれも、物理的には可能だったとしか言いようがない。

2013-05-03 16:22:53
Takehiro OHYA @takehiroohya

そもそも民主政である以上、「我ら人民」が出てきて「これぞ人民の意志」と宣告されれば、統治者はそれを唯々諾々と受け入れるしかない。そう認められる条件をめぐって言い争ってもいいが、国民大多数が新体制に文句も言わず服従しているという圧倒的な現実を突き付けられれば、どこかで黙るしかない。

2013-05-03 16:23:22
Takehiro OHYA @takehiroohya

そのあとで憲法学者にできるのは、「あのとき革命が起きた」と振り返って呼ぶことだけ。よなはさんはこの関係を正しく認識していたが、八月革命説自体が改正限界論自体の限界を物語っているというわけだ。

2013-05-03 16:24:05
Takehiro OHYA @takehiroohya

憲法改正限界論は、成立するとしてもその憲法体制の内部でのみ意味を持つ。「我ら人民」が外側から現れ、憲法制定権力を直接的に行使したときには機能しない。あくまでも、「自分はこの憲法体制の内部にいる」と思っている人が一定の境界を踏み越えることに対して持つ心理的障壁の問題に過ぎないのだ。

2013-05-03 16:25:10
Takehiro OHYA @takehiroohya

ちなみに與那覇さんの当該ご発言はこれね。私も革命は支持しないし、正面から言ったら国民がドン引きすると思っているけど、「はいそうです革命です、で、なにか」と言われたら論理的にはそこでオワリ、ということ。同じ構造が現行憲法の基礎にもある。https://t.co/JoVRyQIIjT

2013-05-03 16:33:44
Takehiro OHYA @takehiroohya

なお田島正樹先生に昔お答えしたことがあるのだが私は革命がしたくないのであって、その手前で片付けるために改正や修正で済ませようとしている。ガス抜き穴を開けようと努力してるのに内圧を増やすんじゃないと、まあ両方にイライラしているわけですな。難儀な立場だ。

2013-05-03 16:36:55
逢坂誠二 立憲民主党 @seiji_ohsaka

憲法96条の発議要件を二分の一にすると「与党だけで改憲発議でき、統治権に対する制約としての憲法の意味がなくなる」浦部神戸大学名誉教授の指摘。(5月2日朝日新聞) http://t.co/cg13Z7b9q2

2013-05-03 06:53:44
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Takehiro OHYA @takehiroohya

そうかフランスでは「統治権に対する制約としての憲法」が機能してないのか。それは知らんかったな。

2013-05-03 18:15:00