横歩取りバトルロイヤル(仮称)
- yamajunn21
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横歩取りバトルロイヤル(仮称)も更新しました。 #Yokofudori http://togetter.com/li/49777
2010-09-12 22:47:47RT @yamajunn21: なんとネット上で公開されている方がおられて両書とも内容が見られます。将棋歩式 http://bit.ly/cECJeo 将棋奇戦 http://bit.ly/bIYUVu #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 22:05:54中原先生の横歩取り参入も、残念ながら先手有利の流れを完全に押しとどめれたとは思えません。その中で中座先生が革命を起こします。当初は一時的な流行と思われていたのが、紆余曲折は有ったものの現在では矢倉をも凌ぐ一大主流戦法となっているのは皆さんご存知のはず。 #Yokofudori
2010-09-12 21:55:49そこに羽生世代の棋士達が参入し、定跡として未整備なところ、興味の対象で疑問に思うところをどんどん突き詰めるようになってきます。この流れの中でも、やはり先手の有利の傾向を少しづつ推し進めたような気がします。 #Yokofudori
2010-09-12 21:52:35ここからは横歩取りの流れを少し。内藤先生や谷川先生の挑戦にもかかわらず、横歩を取らせるのは、余り良いとはみなされず、(今風に言うと)スペシャリストの戦法として比較的マイナーなままとなっていました。 #Yokofudori
2010-09-12 21:48:50まあ、こうした流れの中、横歩取りの始まりで2筋交換に△2三歩でも8筋交換でも, 先手が横歩を取る方が普通になり、横歩取らずの相掛かりがマイナーになったと思われます。 #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 21:43:03もう少し正確に言うと、相横歩取りも先手有利とみなされていたようですが、しばらく工夫が凝らされて、集中的に指された時期が有ったようです。その後内藤先生の3三角戦法や谷川先生の4五角戦法の連採などが有ったはずです。 #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 21:40:10横歩取りの始まりで△2三歩型で先手だけに飛車先交換を許すのダメなら、後手も8筋を交換してみようと言うのは当然の発想と思われます。当初は主に相横歩取りを代替手段として用いた様です。 #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 21:31:49現在でもそうですが、将棋の戦型というのは、完全な結論が出るまでもなく、あまり有望で無いと判断されると、採用されなくなります。△2三歩型は時々しか指されなかったので定跡の進歩が遅かったのだと思われます。 #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 21:16:11で、結局は少なくとも△2三歩型では横歩を取った先手が有利になるようだということだったのですが、現在の結論が出たのは意外と遅く、昭和60年代に入ってからです。森雞二先生の▲1六歩と佐藤康光先生の▲3六飛です。 #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 21:14:29木村先生の関わっている横歩取りは現代で言う、△2三歩型の事です。この流れに挑戦したのが、花田長太郎先生や山田道美先生となる訳です。 #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 20:30:59それから、今度は横歩を取ったほうが有利ということになり、居飛車党が後手の2手目△3四歩が減ったのでは無いかと思われます。先程の「平手相懸定跡奥義」に横歩を取らせぬ戦法としてすでに色々と解説が有ります。 #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 20:28:25加藤次郎先生の著作によると、木村14世名人以前に、溝呂木、宮松、村越といった当時の先生方が既に、横歩を取り好成績を挙げていたものの注目されていなかったようです。 #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 20:22:35この迷信のため「横歩を取ると先手不利」→「横歩を取らずに相掛かり」が棋界の主流となっていたものと思われます。そこに挑戦した中で最も有名なのが木村14世名人です。 #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 20:17:27明治・大正の資料は私は正直あまり良く知らないのですが、加藤次郎先生の著作によると、大正末期から昭和の初期頃までは、「横歩三年のわずらい」の迷信は生きていたようです。 #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 20:15:07ちなみに三年のわずらいとは3手損の事の様です。2筋交換後2四の飛を▲2八飛なら1手ですむところを、▲3四歩→▲3六飛→▲2六飛→▲2八飛と4手かかって3手損の様です。 #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 20:11:57このような江戸時代の高名な棋書に既に横歩を取る戦型の解説は有り、形にもよると思うのですが、基本的には「横歩三年のわずらい」と言われ、横歩を取るために手損をするのは、割に合わないと思われていたようです。 #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 20:09:32この平手相懸定跡奥義に現代で言う、横歩取り△4五角戦法が既にかなり詳細に解説されており、山田道美先生や谷川浩司先生をも驚かせた(と思う)といった事が沢田多喜男氏の名著「横歩取りは生きている」に紹介されています。 #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 20:05:30続いて大橋柳雪氏が現れます。平手相懸定跡奥義 http://bit.ly/c8jiJr というこれも誠に有名な著作があります。柳雪氏は名人にこそならなかったものの当時最強とみなされるような指し手であったようです。 #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 19:59:22その将棋歩式の中では、どうやら横歩を取らずに駒組みを進めるのが「正則」で、その「別法として」横歩を取る戦法が取り扱われているようです。先のHPの将棋歩式の6番で横歩取らずの相掛かりが出てます。ちなみに先手中原囲いです。 #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 19:52:27なんとネット上で公開されている方がおられて両書とも内容が見られます。将棋歩式 http://bit.ly/cECJeo 将棋奇戦 http://bit.ly/bIYUVu #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 19:45:58流れが大きく変わり始めたのは、9世名人、6代大橋宗英氏からと思われます。将棋歩式は定跡集として、将棋奇戦は実戦集として、宗英氏の著作として非常に有名です。 #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 19:44:19もっとも平手全盛の現代とは違い、駒落ちがむしろ主流で有ったため、平手定跡の進歩は遅かったものと思われます。 #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 19:33:26もともと最古の棋譜以来、少なくとも記録に残っている棋譜を見る限り、江戸時代には後手の振り飛車が主流の戦法で、しかも位負けを極端に嫌い4段目まで歩を突き合ったり、銀を中央に並べる二枚銀にしたりするのが多かった様です。 #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 19:31:47さて、私の将棋戦法の歴史の知識はそれほど厳密ではなく、曖昧なところも有るのですが、何かの参考になればと思い、相掛かりと横歩取りの狭間についてツイートしてみます。 #Aigakari #Yokofudori
2010-09-12 19:27:37