【原発の倫理性・続1】
- karitoshi2011
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0【原発の倫理性・続1】「原発と社会倫理を考える」(国会エネルギー調査会)http://t.co/1ceNTnTJOq 「原発の倫理性」http://t.co/QQchP87c3k で考えて来た事の続き。これはまた宗教的な立場からの原発の倫理的批判の意義についての考察に連なる筈
2013-05-05 20:27:53「原発と社会倫理を考える」(国会エネルギー調査会(準備会)4/25)
「原発の倫理性」
1【原発の倫理性・続1】ドイツの「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」が2011年5月に提出した報告書「ドイツのエネルギー転換 未来のための共同事業」だが、ここでは「倫理的」という語がどのような意味で用いられているのだろうか? http://t.co/vP3qbjaVxm
2013-05-05 20:28:17資源エネルギー庁HP
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基本問題委員会について
第3回基本問題委員会 配付資料
資料8-2
「ドイツのエネルギー転換――未来のための共同事業
(安全なエネルギー供給に関する倫理委員会)」
(飯田委員補足説明資料)
2【原発の倫理性・続1】最初の章「 「安全なエネルギー供給に関する倫理委員会」からの提言.」に「倫理的」ということの主要な意味が記されてる。「原子力エネルギーの利用やその終結、他のエネルギー生産の形態への切り替え等に関する決定は、すべて、社会による価値決定に基づくものであって」
2013-05-05 20:28:553【原発の倫理性・続1】「これは技術的あるいは経済的な観点よりも先行しているものである。未来のエネルギー供給と原子力エネルギーに関する倫理的な価値評価において鍵となる概念は、「持続可能性」と「責任」である」。倫理とは〈未来への責任に力点を置いた価値判断〉ということになる。
2013-05-05 20:29:204【原発の倫理性・続1】「持続可能性」と「責任」は宗教・文化伝統と結びつけられる。「キリスト教の伝統とヨーロッパ文化からは、自然に対する一つの特別な、人間の義務が導き出される。自然に対する人間の生態学的責任は、環境を保存・保護し、環境を自分たちの目的のために破壊することなく」
2013-05-05 20:29:495【原発の倫理性・続1】「有用性を高め、未来における生活条件の保障の見通しを保持することを目指すものである。したがって後の世代に対する責任は、とりわけエネルギーの保障や、長期的もしくは全く無制限なリスクと負担の公平な分配や、これらと結びついた行為の諸結果にまで及ぶものである。」
2013-05-05 20:30:106【原発の倫理性・続1】ここでの倫理とは広い意味でのリスク評価・有用性評価による「価値判断」。その具体化は第4章「倫理的立場」でなされ「絶対的な判断」と「相対的な比較衡量」が並べられる。前者はキリスト教側、後者は「比較衡量」の立場 http://t.co/vP3qbjaVxm
2013-05-05 20:30:587【原発の倫理性・続1】「比較衡量」とは?「すべてのリスクとチャンスが、可能な限り科学的に見積もられ、そして生態圏全体にわたる直接的また間接的な影響が算入されなければならない。その際、影響の規模だけではなく、それが生じる確率も考慮すべきである。それらの影響を見積もった後で」
2013-05-05 20:31:208【原発の倫理性・続1】「リスクとチャンスが、相互に比較衡量されなければならない。」ここでの「比較衡量」の立場とは、〈リスク論的に枠を広げた功利主義的価値判断〉ということになろう。他方、「絶対的判断」は〈宗教的な超越的価値基準に基づく価値判断〉ということだろう。
2013-05-05 20:31:409【原発の倫理性・続1】では、具体的に両者はどう異なるのか?そこがどうもよく分からない。「絶対的判断」の立場はどのようなものか?「原子力エネルギーの絶対的な拒否という立場によれば、災害可能性や後の世代への負担や放射線による遺伝子損傷の可能性は、そのリスクを相対的に」
2013-05-05 20:32:0310【原発の倫理性・続1】「比較衡量してはならないほど大きなものだと評価される」。これが分からない。「比較衡量してはならないほど大きい」というのはすでに比較しているのではないのか?ドイツの宗教的な立場からの原発批判は、「比較衡量してはならない」などと述べているのだろうか?
2013-05-05 20:32:3511【原発の倫理性・続1】むしろ問題はどのような基準でリスクを比較し判断するかではないだろうか?宗教的・(宗教的価値を背景にもったような)倫理的な立場からの原発批判は経済中心主義的な損益の比較の立場とは異なるような損益比較を行っていると考えることもできるだろう。
2013-05-05 20:33:0212【原発の倫理性・続1】報告書はリスク比較の基準を広くとる。「可能な限りすべての視点から責任を負い得るようなエネルギー供給を展開していくためには、全体的な考察を必要とする。文化的、社会的、経済的、個人的、制度的な内容と共に、生態系や健康に関わる諸結果が考慮されなければならない」
2013-05-05 20:33:2613【原発の倫理性・続1】リスクの概念をここまで広く捉えると、生活のあり方(生活形式)の選択というような領域にまで及んでいくだろう。そうなるとリスク評価は宗教的な次元にまで及んでいくことにもなる。「比較衡量」は自ずから倫理の基盤となるような「価値」にまで及ばざるをえないはずだ。
2013-05-05 20:33:4714【原発の倫理性・続1】結局「実際的な観点から見るならば、原子力エネルギーに関するどちらの基本的立場も、同じ結論に達する。すなわち、原子力発電からの電力が、生態学的、経済的、社会的な配慮の規準に即してリスクのいっそう少ないエネルギーによって代替される得る限りで速やかに」
2013-05-05 20:34:0515【原発の倫理性・続1】「原子力発電の利用を終わらせる、ということである」と結論され、「絶対的な判断」からも「相対的な比較衡量」からも同じ結論に到ると論じられている。だが、これはキリスト教側対世俗主義側という立場の対立を前提にしたためのややこしい論の運びであるように思える。
2013-05-05 20:34:21