ボーカロイド・オペラ『THE END』に関する仲山ひふみさんの論考

「《The End》ではノイズたちが空間を、旋律(の断片)たちが時間をそれぞれ駆け巡っていた」 こちらもあわせてどうぞ。http://togetter.com/li/457000
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仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

渋谷慶一郎+岡田利規《The End》の東京公演が差し迫っている。僕は24日(金)、最終回のものを観劇する予定。それまでにもう一度、渋谷慶一郎のこれまでと、エレクトロニカのこれまで、それからボーカロイドや現代音楽のあれこれを頭に詰め込みなおしておきたい。聴く側も全力で行かねば。

2013-05-20 21:01:29
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

渋谷慶一郎《the end》観てきました。プラチナ席で。途中泣いた。If I don't have any word to speak.

2013-05-25 00:09:41
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

現代音楽関係者が《THE END》に対して音響・楽理の観点から批判をするのはある意味健全な反応だと思うので、そのままいっちょ本物の現代オペラを見せてやるぜ!というノリで対抗意識に満ちた作品を作り上げたりしたら、それはとても生産的なことだと思います。

2013-05-25 00:41:25
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

あと批判の多くが「物語が追えない」という点に照準が合っているのは症候的。そもそもなぜあそこに「物語がある」と感じるのか?それは意図的に物語的に作られた音楽のためです。台詞や演出は基本的に断片性を志向しているし、音楽抜きで見たら一種の観念詩の集積に見えるはず。三一致の法則もないし。

2013-05-25 00:45:54
ぽえん @nt1chk

@sensualempire 「じゃあ"オペラ"って何だよ?」ってのは感じた。アリア的ではあったけれど、合唱の和声は無かったし・

2013-05-25 00:47:36
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

あのオペラはいわゆる循環形式に近いなと感じた。直線的な時系列的というよりも、特定の主題と結びついたキャラクター=音色の間を螺旋的に巡って行く感じ。ストリングスの分散和音やスケールのフレーズが、「イニシエーション」のメインフレーズと重なる部分が多いからかも。

2013-05-25 00:51:00
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

@nt1chk 古典的なオペラはあんまり合唱(コーラス=コロス)使わないですけどね。登場人物たちの四重唱ぐらいで。オラトリオとかになると変わってきますが。てかそれを言ったらユーロペラとか・・・・・・

2013-05-25 00:54:39
ぽえん @nt1chk

@sensualempire 僕はマチネみて、そんなに擁護できる気がしなかったのだけれど。オペラと言うには和声がないし、演劇というには舞台の立ち上がりが無い。あれをアリアとしてオペラと言ってもよいかもだけれど、じゃあ映像上映と何が違うのか? と・

2013-05-25 00:58:36
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

モンテヴェルディとかの時代は、中世的寓意劇に対立するギリシャ悲劇の復活というテーマがあったから、コロス=コーラスとかがんがん使っていたわけですが、モーツァルトの時代になるとそうでもなくなり、むしろ個人の超絶技巧の誇示の性格が強まる。

2013-05-25 00:59:32
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

@nt1chk うーん、和声がないとオペラにならないといわれたら、シェーンベルクの《モーゼとアロン》(これはストローブ=ユイレによって映画化されて救われていると思いますが)とかもダメだし、他にも現代オペラは全般的にダメってことになっちゃいますね。

2013-05-25 01:03:42
ぽえん @nt1chk

@sensualempire まあ、演劇との違いで和声とは言ったけれど、あれがどのように"オペラ"だったのか、僕にはよく分からなかったね。例えば「映像ライブ」とか言われたら、まさにそのまんまなので納得するけれど、あれをオペラとして受容するのはそれなりの工夫が要るよね・

2013-05-25 01:06:24
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

例えばオペラは旋律か和声か?ってルソーとラモーが18世紀に論争していますよ。言葉の抑揚=身体性をよりよく生かした「生きた歌」を作るにはそれ以前のバロック的和声的なやり方ではダメというのがルソーからの批判。ちなみにイタリアオペラは伝統的に旋律重視。

2013-05-25 01:08:21
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

@nt1chk 映像ライブだとしても、それが作品の質に関わる、とは思わなかったな。僕がいい席に座ってたからというのも大きそうですが。それにオペラってそもそもオプス(オペレーションの語源、作用、作業、作品の意)の複数形で、本来は形式的に雑多なもの。受容は結構されてる気がします。

2013-05-25 01:12:53
ぽえん @nt1chk

@sensualempire 規模感というかな、僕にオペラの精確な定義がある訳ではないので言いにくいけれど、あれを「オペラ」として売ったときに、どれほどオペラとして受容することに蓋然性があるかが単純に疑問で。THE END"という作品をオペラとして擁護すべきか、ひふみくんはどう?

2013-05-25 01:15:39
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

あとプログラム読めばわかるけど、渋谷慶一郎は佐々木敦との対談で、場としてのニコ動とボカロPの創造力をめちゃくちゃ高く買っている(そのせいで若干別の方面を敵に回しかけている気がするw)ので、「初音ミクというキャラクターを育てたオタク文化への敬意がない」は完全に当てはまらない。

2013-05-25 01:17:19
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

@nt1chk 断然オペラとして擁護すべきだと思いましたよ。というか映画(=映像)という表象媒体がそのままだと閉塞するというのは20世紀終わりにはわかっていて、そこからいまの3Dまでの流れがあるのだから、合流地点としてああいう形式は絶対的にアリでしょう。

2013-05-25 01:20:05
ぽえん @nt1chk

@sensualempire それで言えば、オペラって映像よりも前に既に閉塞してない? つまり最も最近に陳腐化しつつある映像の乗り越えとして、あの作品のオペラ性が機能し得るか、という問題でしょう? 

2013-05-25 01:22:43
ぽえん @nt1chk

@sensualempire じゃあ、オペラ・ファンのあの作品に対する反応はどうだったんだろうとか、まだ釈然としない。それはパリ公演ではさっくり解決されるのかもしれないけれども・

2013-05-25 01:24:15
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

@nt1chk オペラ性は、アリアとレチタティーヴォ(叙唱)、それに物語が始まる前の序曲、という形で、最低限の物語性を保障するわけですよね。そのおかげであそこでの映像は普通の意味での物語映画とも映像作品とも違うし、PVの形式的要請とも関係ないことをやれたと。

2013-05-25 01:28:09
ぽえん @nt1chk

@sensualempire なるほど、まず形式的にはオペラ性を満たしていた、と言えると。ところでオペラには音楽的要素以外の、演劇的な舞台空間性とか、それほど要らないの? 舞台空間としてみたときに、空間の立ち上がりの薄っぺらさも結構気になったんだよね・

2013-05-25 01:32:07
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

ウェーベルンが《交響曲》や《協奏曲》を発表したときも同じような感じだったのかな、いやまあベートーヴェンでもマーラーでもいいんですけどね。西洋音楽史はそんな例ばっかりだから。柴田南雄の《ゆく河の流れは絶えずして》にびびったのもいい思い出だな。

2013-05-25 01:33:04
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

@nt1chk それはむしろ空間性に対するアンビバレンスではないかと。本来オーケストラピットに入りっぱなしの楽器音を立体サラウンドで会場内に回し、テアトロ・オリンピコのパロディよろしくパースをつけたり。ボカロを現実空間に召喚しようというエモい不可能性にチャレンジしたわけですよね。

2013-05-25 01:38:40
ぽえん @nt1chk

@sensualempire テアトロ・オリンピコはジオラマ背景だよね。スイガドウさんからYCAM公演ではピアノ・パートの前に渋谷氏がおもむろに舞台上を去るシーンがあったと聞いて、それならあのエモい演奏ブースの意味が分かる。

2013-05-25 01:42:19
仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA @sensualempire

@nt1chk オペラの現代的演出は、みんなブレヒト~リゲティ化しているので、その点ではむしろ理解されるのではないでしょうかね。というかオペラ座の関係者も東京公演を見てジャッジしているのでは。

2013-05-25 01:42:28
ぽえん @nt1chk

@sensualempire でも東京公演だとその生身性すら無く、あの空間(手前のスクリーンと奥の三面スクリーンとの間)スカスカじゃなかった? それほど意味深い空間に思えなかったのだけれど・

2013-05-25 01:43:30
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