毎日新聞『なぜ「脱原発」敗れ去った』での中島岳志氏らの発言記事への反響など

毎日新聞記事『今「原子力」を考える:新聞労連・新研集会 なぜ「脱原発」敗れ去った 排除の論理を疑問視 /福井』 に記載された集会「脱原発は、どこへ行った?」の招待者の社会学者の開沼博氏▽北海道大学大学院准教授の中島岳志氏▽映画監督で作家の森達也氏らの発言が記事に記載された。 その記事や発言への、主に違和感を感じる立場からの反響、更に中島氏@nakajima1975のツイートなどをまとめました。 ■ 応答関係の見やすさのために、一部ツイートの順を変えてます。 ■ 追加・修正しました。更に、5回追加しました。 続きを読む
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「水俣病“真の救済”はあるのか ~石牟礼道子が語る~ NHKクローズアップ現代」

http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3234_all.html
から抜粋:

(....省略....)

水俣と歩んだ作家 石牟礼道子が語る

被害者が真に救済されるためには何が必要なのか。
水俣で育ち、公式確認の前から水俣で起きたことを見つめ続けてきた作家、石牟礼道子さん85歳です。
石牟礼さんはチッソとの交渉や霞ヶ関での座り込みにも患者と共に参加。
完結まで40年をかけた「苦海浄土」3部作などの著作を通して水俣病の問題を描いてきました。
今は熊本市でパーキンソン病の症状に悩まされながらも執筆活動を続けています。
ゲスト石牟礼道子さん(作家)

●石牟礼さんから見た特別措置法

特措法の“救済”という言葉は、いかにも官僚用語。
最初の段階から基礎調査をすべきだった。
一軒の家に患者がいると、必ずと言っていいほど家族全員が何らかの症状がある。
天草で案の定、被害者が出てきた。
行政は地域を区切って減らそうとしている。
魚を食べた証明を出さないと、(対象地域外では)救済対象にならない。
(特措法の)条文を作った役人は、50~60年前の証明書を持っているのか。

●なぜ“線引き”はくり返されるのか

行政はごまかし、ごまかし、大変な事件だと思っているに違いない。
手落ちを隠すというか正当化する。

●国はどう向き合うべきだったのか

日本は経済成長路線でやってきた。
人間性の善なるもの、徳義、精神的な成長を国民と共に遂げること、やってこなかった。

●半世紀を経て思うことは

患者たちと東京によく行った。
患者は「日本という国はなかった」と言う。
「東京まで行っても日本という国は、どこにあるかわからなかった。
日本という国は、人がつくってくれるのではない。
自分たちでつくらないとない。」
人間の希望。
最低の希望はわかり合う努力をすること。
一番せつない、わかりあえないということが。

それでね、もう亡くなったですけど杉本栄子さんという方がいらっしゃって。

「私たちは許すことにした。
全部許す。
日本という国も、チッソも、差別した人も許す。
許さないと、苦しくてたまらない。
みんなの代わりに私たちが病んでいる。許す。」
と言って死ぬ前に、「まだ生きたい」と言って亡くなった。
私たちは許されている、代わりに病んだ人から許されて生きている。
罪なこと。
代わりに病んでいる、日本人の代わりに。

●国には何を学んでほしい

純朴ないいものをたくさん持っていた。
水俣の人たちの心をズタズタにした。
きょうも無事に生きた。
あしたも、きょうくらいに生きられればいいと思う人たち、特別、出世したいと考えもしない人が、この世にはたくさんいる。
普通に生きている人たちの行く末、普通に生きるというのは大事なこと。

*
 
 

 


 
●表記の毎日新聞記事の引用:

 『今「原子力」を考える:新聞労連・新研集会 なぜ「脱原発」敗れ去った 排除の論理を疑問視 /福井』

http://mainichi.jp/area/fukui/news/20130605ddlk18040624000c.html
毎日新聞 2013年06月05日 地方版

 「脱原発は、どこへ行った?」と題した集会が先月25日、日本新聞労働組合連合(新聞労連)新聞研究部の主催で東京都内で開かれた。福井県でも1年前、全国から脱原発を訴える団体や個人が集まり大飯原発の再稼働反対を訴えたが、あの熱気は今はもうない。なぜ脱原発は敗れ去ったのか。集会での議論を報告する。【佐藤慶】

 集会には、社会学者の開沼博氏▽北海道大学大学院准教授の中島岳志氏▽映画監督で作家の森達也氏--の3氏が招かれた。まず、開沼氏が基調報告を行った。

 開沼氏は、脱原発運動は失敗し、現状は原発再稼働を見据えた新しい秩序に向かっているとして、「脱原発は誰にとっての希望だったのか」と問いかけた。

 答えを考えるため、脱原発という「希望」に乗れなかった人たちを例に挙げた。福島第1原発事故の前、福島県大熊町では「原子力最中」が、柏崎刈羽原発のある地域では「原子力つけめん」が売られていたという。開沼氏は「原発が文化になっている。ある種のアイデンティティーとし、ブランドとして地域を作ってきた。事故があったからといって、手放せるわけがない」と指摘した。

 原発を必要とせざるを得ない人たちと、首相官邸前に集まる人たちの間にずれが生じ、「脱原発」の言葉は福島を語りながら福島のためになっていないと説く。福島にスティグマ(負の烙印(らくいん))を与えて問題を大きく見せ、自らの活動を維持しようとするその手法を開沼氏は「排除による包摂」と呼び、「同意を得られないものだった」と批判した。

 基調報告の後、3氏による鼎談(ていだん)に移った。森氏は、甚大な被害の一方で、被災地以外の人たちが震災後も普通に生活している現実に触れ、「日本全体が後ろめたさみたいな意識を抱えた」と表現した。後ろめたさは社会を良い方向に変えることはなく、逆に不安や危機意識から「集団化に向かった」という。集団は敵を見つけ、強いリーダーを欲しがる。震災直後の都知事選での石原慎太郎氏、大阪市長選での橋下徹氏、衆院選での自民圧勝は、その流れに通じるという。

 集団化は「『誰が悪い』『こいつが悪い』という二元論的な構造」を強める。森氏は「3・11以降、東京電力をある意味で悪者化することで、善悪二元化が進み、結局は何も解明できないままに終わってしまう」と警鐘を鳴らした。

 中島氏は、首相官邸前のデモに参加し、暴力的な言葉を聞いて違和感を感じたという。暴力的な言葉では、対話は拒絶される。脱原発を進めるためには、東電の人たちの心とつながらなければならないと主張し、森氏と同様に敵と味方、正義と悪という単純な二元化を批判した。「自分とは違うと思った他者とのコミュニケーションをどう図るのかというあり方自体が問われている」と現代社会に問題を投げかけた。

 2氏の論を受け、開沼氏も脱原発運動が抱える排除の論理を疑問視した。「本来なら排除を嫌っていたはずの左派、リベラルにいた人が平然と、かつて排除していた人と同じ土俵に乗っかっている」と指摘し、「重要なのは誰かを蹴落とすことで自分たちが安全な場所に立てる土俵でない。誰かを救いながら社会に包摂していけるような議論の土台に戻る必要がある」と説いた。

 

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