アート・バーゼルの「不法占拠」と「機動隊導入」について
(続)「芸術」の持つ傲慢さというのは回避不可能ではないかと思うところもあるわけです。であれば、川俣氏は機動隊の動員をインスタレーションの論理によって徹底的に肯定すべきではないか。そこにオキュパイ以上の批評が生まれる可能性があると思う。左派の「正義」の前に屈服する必要は無い。続く
2013-06-21 01:04:53「自律」が神話だフィクションだとかいう批判は沢山ある(あった)と思うが、結局、ポスト自律芸術である現代芸術も、正義でも人生でもいいが芸術外の諸々との絆を取り戻すことは出来ていない。言ってよければ、その「病状」が極端に現れたものだけが批評と鑑賞に値する。
2013-06-21 01:24:30この動画の何が良いって、ほうぼうから警察に向かって物やイスが投げつけられている所(作品の事は最早どうでもいい)。死ぬ迄には自分もやってみたい。官邸前にしろ大飯原発前にしろ物理力で動きを封じられる事は、屈辱以外の何者でもなかった。隷従という事を教えられた。屈辱は晴らす為にあるものだ
2013-06-21 02:25:09バーゼルの占拠と機動隊の件は「自由を目指す芸術側が国家権力に頼る」皮肉、「芸術の限界」として語られ得る。1923年ダダ公演に乱入したブルトンをツァラが警察呼んで排除した件も同様(排除される側の批評意識とか排除する側の作品への意識とかは90年でだいぶややこしくなってるとは思うが)
2013-06-23 09:58:53僕たぶん把握しきれてないんだけど、上記まとめ http://t.co/UBsZJvLlll の東野氏のpostはこの「芸術」対「国家」、「反権力」対「権力」という既存の二項対立をずらす(というかなんとなく上から見下ろす)
2013-06-23 09:59:121923年の「事件」はパリダダ終焉の直接原因とされているし、何よりダダ本人等が後味悪く感じてシュンとなったと思うし実際に終焉の標識だと思うが、芸術対権力のわかりやすい二項対立、「芸術側が国家権力に頼る」皮肉だけに目が行くとたぶん見逃す問題がある。
2013-06-23 09:59:56