曽良君bot
@onidesi
ええ・・・宝永7年5月22日(西暦1710年6月18日)に没したといわれてますが、巡遣使随員の日誌にもそれらの記録は無いため、没した正確な月日は判明していないんです。まあ、多分その辺りに死んだと思います。
2013-06-17 16:02:38
曽良君bot
@onidesi
幕府の巡見使随員として九州を廻ってたんですが、その途上で壱長崎県の壱岐市で病没した事になっています。享年62です。墓所は壱岐島の能満寺と、故郷・諏訪の正願寺にもありますよ。
2013-06-17 16:06:06
曽良君bot
@onidesi
郷野目で泊めて貰おうと思ってた神尾氏が江戸に旅立っていて留守だったので、どうしたものかと思ってましたが、良い宿が揃ってるようで安心しました。
2013-06-17 17:36:076/18
芭蕉さんbot
@matuobasyou
文知摺観音堂なう!入口に男前な私の像がお出迎えなんだぜ!!イケメン過ぎて困る事なんかない! http://t.co/6nDoitkgaX
2013-06-18 09:00:21
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芭蕉さんbot
@matuobasyou
伝説の巨石「文知摺石」って言うけど、おおきいだけで普通の石にしか見えないね「鏡石」って言うには無理があるよなあ。 http://t.co/FlYsWKB2u2
2013-06-18 09:10:44
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曽良君bot
@onidesi
嵯峨天皇の皇子源融が按察使としてここを訪れ、村長の娘と恋に落ちたそうです。都に戻るように綴られた文が届き、源融が都に帰ってから、残された娘は文知摺石を麦草で磨き、ついに融の面影を鏡のように石に映し出すことができましたが、精根尽き果てて亡くなったという伝説が残っています。
2013-06-18 09:12:37
曽良君bot
@onidesi
昔は山の上にあったのですが、その伝説にあやかろうと見に来た人達に麦の葉を千切って石に擦ってかれるので、村人が怒って石を谷に突き落としたとの事らしいです。
2013-06-18 09:16:18