東日本大震災体験談 福島 相馬市 【IWJ百人百話】2013参院選直前特集:第62話「阿部知美さん」 2013年07月19日

【IWJ百人百話】2013参院選直前特集:第62話「阿部知美さん」:相馬市から秋田市に避難。 ジャーナリスト 岩上安身 @iwakamiyasumi IWJ
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岩上安身 @iwakamiyasumi

以下、連投。 RT @wakuwakuchizuru: 【IWJ百人百話】2013参院選直前特集:第62話「阿部知美さん」の実況ツイートをはじめます。

2013-07-19 14:12:42
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投1 RT 【IWJ百人百話】1.阿部さん:相馬市から秋田市に避難。16歳と10歳の息子。公務員の父と会社員の母の間に生まれた。4歳年上のとても優しい兄がいる。相馬市は海があり、漁業が盛んな町。馬追で有名。馬が神様。実家は浜から5㎞以上離れている。

2013-07-19 14:14:07
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投2 RT 【IWJ百人百話】2.阿部さん:3.11で自宅が半壊になり、自宅脇に駐めた車の中にいた。揺れがひどく、こどもたちの手を引いて逃げた。地面は波打ち、瓦も飛んだ。あちこちから悲鳴が聞こえた。揺れが収まってから自宅の中を見たら、箪笥は倒れ、入れない状態。

2013-07-19 14:14:28
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投3 RT 【IWJ百人百話】3.阿部さん:お母さんは立っていられない状態。恐怖が先。まだ学校に居た次男を助けに行った。壊れた自宅の中から靴をとりだし、学校に走った。歩道はあちこち割れ、水が湧き出し、ブロック塀も壊れていた。子どもの足で30分ほどかかる学校へ。

2013-07-19 14:15:55
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投4 RT 【IWJ百人百話】4.阿部さん:学校に着いたものの息子はいない。担任に聴くと、「帰った」と。けれど、学校まで走った道では息子に出会わなかった。たいへんだということで、一緒に下校したという友達のところに向かった。息子はランドセルを背負って

2013-07-19 14:16:57
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投5 RT 【IWJ百人百話】5.阿部さん:うずくまっていた。まだ揺れは続いていて、津波が心配だった。車に母親とこどもたちを乗せて、しばらく待機した。情報は車で聴くラジオだけ。津波がすごいと。とにかく揺れがひどい。人が入れる状況ではない自宅から、

2013-07-19 14:17:18
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投6 RT 【IWJ百人百話】6.阿部さん:長男と何度も入って、貴重品を取り出した。けれど次に大きな揺れが来たら崩れてしまいそう。危ないので車の中に居た。そのうち、安否を尋ねるメールが兄から届いた。家族は無事だが、家は壊れたと返信した。6時過ぎ、

2013-07-19 14:17:36
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投7 RT 【IWJ百人百話】7.阿部さん:寒くなってきたところで、兄が駆けつけてきてくれた。建設会社に勤務している兄が、危ないからもう家には入っていけない、自分の家に避難するようにと言ってくれた。父親は、勤務先の老人ホームが災害対策本部になったので動けないから

2013-07-19 14:18:00
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投8 RT 【IWJ百人百話】8.阿部さん:母親とこどもたちとで兄の家に逃げるようにと言った。兄の家は南相馬、余震のたびに地鳴りがし、そのたびに屋外に逃げ、誰も一睡もできない状態だった。兄の家族は、義姉、小学生の姪と甥、隣家には義姉の両親がいて、皆無事だった。

2013-07-19 14:18:26
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投9 RT 【IWJ百人百話】9.阿部さん:原発がおかしいと思ったのは翌朝。菅総理が福島に視察に来たという映像を見たとき。祖父は反原発を唱えていたわけではないが、原発が爆発したら南相馬はダメだと常々言っていた。爆発映像を見た時、自分だけが「爆発した!」と叫んだ。

2013-07-19 14:19:06
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投10 RT 【IWJ百人百話】10.阿部さん:兄は、政府が大丈夫だと言っているのだから大丈夫だと言っていた。爆発は知っていたので、花粉症用のマスクをさせた長男とともに、買い出しに外に出た。そのことを今でも後悔している。外は至って穏やかな春の風景。いまも思い出す。

2013-07-19 14:19:25
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投11 RT 【IWJ百人百話】11.阿部さん:爆発したときから、自分と周囲の人との危機感は全く違った。チェルノブイリ事故の時、雨に濡れてはいけないと言われたことを覚えている。とくに事故のことを勉強したわけではないが、被害についてはある程度知っていた。

2013-07-19 14:19:44
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投12 RT 【IWJ百人百話】12.阿部さん:被ばくはたいへんなことだとい思いがあった。12日夜6時半頃、画面の右端に出ていた避難地域の10㎞の輪が20㎞になっていた。寝ていた兄を起こし、早く逃げなければと、取るものも取りあえずこどもたちを連れて逃げようとした。

2013-07-19 14:20:50
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投13 RT 【IWJ百人百話】13.阿部さん:急がなければと思うほど、エンジンキーをかける手が震えた。こどもたちは「早くー!」と叫んでいた。相馬に向けて車を走らせると、周囲の車も時速90㎞ほどで逃げていた。父の許に避難。翌日、勤務先の葬儀屋もたいへんな状況。

2013-07-19 14:21:29
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連投14 RT 【IWJ百人百話】14.阿部さん:勤務先が所有していた部屋に家族を落ち着かせ、自分は仕事に出た。同僚のなかにも家族が被害に遭った人がいて、みんなで何とか乗り越えようとしていた。いま思えば不思議だが、あのとき事故はそれほどでもない、遠くに逃げなくても

2013-07-19 14:21:49
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投15 RT 【IWJ百人百話】15.阿部さん:大丈夫だという雰囲気だった。けれど職場にやって来た人が、仕事をしている場合ではない、とくに子どものいる人は300㎞以上逃げないと、と言った。そこで家族を避難させたアパートに戻って、避難しようと言ったが、兄は、

2013-07-19 14:22:12
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連投16 RT 【IWJ百人百話】16.阿部さん:それはどこの情報なのか、と。40㎞離れた相馬から逃げるべきか、逃げるならどこに逃げれば良いのか。被災地に逃げても避難所はいっぱい。結局13日はアパートにいた。翌日は出社し、14日に3号機が爆発したことは後で知った。

2013-07-19 14:22:36
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投17 RT 【IWJ百人百話】17.阿部さん:爆発映像は見なかったが、3号機の爆発を聴いて危険だと思った。けれど避難地域にもならない。大丈夫だという人、危ないという人、そのときから二手に分かれていた。14日の夕方、長男が、血相を変えて帰ってきた。

2013-07-19 14:22:56
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投18 RT 【IWJ百人百話】18.阿部さん:おじいちゃんが早く逃げろと言っていると。家族みな車に乗って、早く逃げようと。車で15分ほどの父のところに向かった。ただ、14日昼、津波が来るとの誤報で父親の所に行った際、北に逃げてください、と人が指示する姿を見た。

2013-07-19 14:23:14
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投19 RT 【IWJ百人百話】19.阿部さん:避難の途中、もともと病院で働いていた義姉が、私は逃げられないと泣き出し、兄と諍いになっていた。駐車場にいるその間、道には逃げる車がびゅんびゅん通っていく。たま

2013-07-19 14:23:41
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投20 RT 【IWJ百人百話】20.阿部さん:信じられないという。5時間ほどして、ようやく山形に向かった。父親からは山形市役所に行けと言われていたので、夜中だったが市役所へ。するとすぐに避難所に案内され、その夜はそこに落ち着いたが、誰も眠れなかった。

2013-07-19 14:24:02
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投21 RT 【IWJ百人百話】21.阿部さん:スクリーニングしていると聴いて、計ってもらいに行った。こどもの数値を計ったら、針が振れ、それを見て泣いてしまった。家族から風の向きを考えて逃げろと、山形に向かったが、その避難所は、宮城県からの被災者を受け入れるから

2013-07-19 14:24:20
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投22 RT 【IWJ百人百話】22.阿部さん:出て行くようにと言われた。けれどどこに行けば良いのか。それぞれの家族が逃げ場所について相談していた。かつての映画「日本沈没」のように思えた。逃げるにしてもガソリンがないので、車はここに乗り捨てていくことにしてバスに。

2013-07-19 14:24:40
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投23 RT 【IWJ百人百話】23.阿部さん:酒田まで行き、九州に飛ぶことにしてまずは秋田に。けれど80歳を超えた母を連れての避難で、みな疲れていて、しばらく秋田に落ち着くことにした。ホテルから買い物に出たタクシーで、避難してきたと話したら、運転手の人が、

2013-07-19 14:25:00
岩上安身 @iwakamiyasumi

連投24 RT 【IWJ百人百話】24.阿部さん:秋田でも避難者を受け入れはじめたからと、連絡先のメモをくれた。そこに連絡すると、すぐに市役所の人が来てくれた。再度測定したが、今回は前回ほどは針は振れず。ただ、汚れた服は替えた。20㎞圏内の兄たち家族は、

2013-07-19 14:26:02