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この軍艦行進曲はまず1897年(明治30年)の鳥山啓氏が作詞の「軍艦」に曲を付けて軍歌としたのが最初で、その後准士官相当官の軍楽師だった瀬戸口藤吉氏が新たに作曲し、1900年(明治33年)に「軍艦行進曲」として誕生しました #大井の軍歌紹介
2013-07-27 00:53:15この軍艦行進曲の初演は、1900年4月、戦艦富士乗組の軍楽隊によって行われ、その後盛んに演奏され、1941年(昭和16年)12月8日の日米開戦時にも繰り返しラジオから流されたりしました #大井の軍歌紹介
2013-07-27 00:55:50この曲は当初は変ロ長調だったんですけど、男性の軍人さんが音が高すぎて歌えなかったのでト長調に編曲され、さらに大正時代末期にはヘ長調へと改訂し、現在の曲となりまた。戦前は主旋律は4回流れることが多かったのですが、現在では3回とされています #大井の軍歌紹介
2013-07-27 00:58:41海軍では改訂されるごとに演奏を変えていたんですが、陸軍では海軍から供与された古い楽譜を長い間使用していたので、同時期であっても海軍と陸軍とではやや違っ た演奏で録音されていたりするんですよ #大井の軍歌紹介
2013-07-27 01:00:43なので昭和初期の電気録音開始以後の民間軍楽団などによる録音などでも、依然古い楽譜で演奏しているものも多かったりしますね #大井の軍歌紹介
2013-07-27 01:01:22初期では、"演奏→1番→海ゆかば→2番"という順で歌われたんですが、現在では、"1番→2番→海ゆかば→演奏"というのが一般的になってます #大井の軍歌紹介
2013-07-27 01:10:23これは日本が敗戦後、GHQによって様々な軍歌が規制され、使う事が出来ませんでしたが、なぜかこの軍艦行進曲は規制対象にされず使用可能でした #大井の軍歌紹介
2013-07-27 01:13:40現在のミャンマーのミャンマー軍では軍艦行進曲の曲を流用して、軍歌ミャンマー・ドゥーイェ・タッマドゥ(Myanmar Tot Ya Tatmadaw)を使用して、軍が運営するテレビ局の朝の開始音楽にも採用されています #大井の軍歌紹介
2013-07-27 01:18:56そしてその台湾で1947年に起きた二・二八事件で放送局を占拠した群衆が「軍艦行進曲」を流して蜂起を呼びかけたりなどもありました #大井の軍歌紹介
2013-07-27 01:20:54