《「復興」とは何だろう? 序論》

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宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

1 「復興」とは、何を目的にして行うものだったのだろうか?そこで生活してきた人々の生活再建のためではないのか?それとも、その土地や自治体の存続のためなのか?あるいは、被災地域を含む国家の経済振興のためなのか?なぜ「復興」を目指すのか、もう一度考え直して見たい。

2013-08-03 21:22:27
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

2 2011年3月11日、東日本大震災と東電原発事故が発生した。私の記憶では、翌日に停電から復帰したテレビ画面では、すでにキャスターが復興という言葉を口にしていたと思う。阪神淡路大震災や中越沖地震を経験した日本のメディアにとっては、「復興」という言葉は馴染みがあるものだったろう。

2013-08-03 21:24:38
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

3 災害発生翌日、まだ地震と津波の被害の大まかな規模もつかめず、原発事故が深刻化している最中に既に「復興」という言葉が使われていた、ということは記憶しておいて欲しい。その時から「復興」は、被災地にとって達成しなければならない義務になっていったのだ。

2013-08-03 21:26:40
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

4 取り戻しようがない数多くの人命と、余りにも変わり果てた風景を前にして、それでも「復興」は成し遂げなければならないものになった。泣いたままでいることどころか、人目をはばからずに泣くことさえも「復興の妨げ」になるなら、許されないような気がした。

2013-08-03 21:29:44
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

5 まして、原発事故による放射性物質の拡散、という眼に見えず、いつ影響が出るかもわからない状況を前にして、「復興」を遅延させるようなことは、行動も口にすることもはばかられる状況が続いた。まして、政治家と「科学者」と「医者」が、メディアで「ただちに影響はない」と言うのだ。

2013-08-03 21:34:27
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

6 テレビに映るいろんな人は、地元でも遠隔地でも、声をそろえて「復興の為に頑張ります、頑張りましょう」と言うのだ。他の事は言わないのだ。テレビでも歌手たちが繰り返す。「元気を出して、顔を上げましょう。明るい未来の為に」と。

2013-08-03 21:36:46
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

7 原発事故の様子を、影響を不安に思う人たちは、不安を口に出すことができなくなっていく。原発事故が今後どうなるか、わからないのに、「復興」に向けて歩き出すことが義務付けられてしまった。避難行動の途中なのに、今まさに生活していた場所が汚染されつつあるのに、「復興しろ」と言われる。

2013-08-03 21:39:45
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

8 放射性物質の深刻な拡散が始まる2011年3月12日には、福島市や郡山市では「復興」の為のインフラ整備も始まっていた。道路や建築物の修復作業などが、放射性物質に対する何の警告もなく、屋外で行われていた。

2013-08-03 21:47:17
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

9 日本中から、あるいは世界中から「復興」を応援するメッセージが様々な形で届くようになった。特に日本中から「絆」を掲げる支援が届き続けた。「絆」を保つためには、「復興」をためらったり様子を見たりしていることは許されないように感じた。

2013-08-03 21:50:54
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

10 「絆」を掲げる人たちは、口々に言う。「皆さんのふるさとの、一日も早い復興を願っています。」ふるさとで生活し続けるのが良いのかどうか、迷うチャンスもなかったように思う。

2013-08-03 21:53:37
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

11 被災地域の外で、被災地域に「復興を」と願った人々には、悪気はなかったのだろうと思う。いや、思いたい。しかし、そこには暗黙のうちに、「元の土地に戻って生活するのだろう」という予断があったのではないか?例えば、中越沖地震で大被害を受けた旧山古志村のように。

2013-08-03 22:05:30
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

12 少なくとも私は、中越沖地震の後の山古志村(当時)に関する叙述のされ方を見て、「たとえ生活に不便が残っても、被災前の土地に戻れば賞賛される。被災前の土地から離れるとがっかりされるのだなあ」と感じていた。「復興」しないと喜ばれないのだと感じていた。

2013-08-03 22:12:37
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

13 実のところ、今考えると、震災と津波の対応に追われている宮城県と岩手県、そのほかの被災地域だって、元の地域に生活を続けることは非常に困難なはずだったのに、私はそういう大事なこと、被災地が共有して悩むことにさえ気づけなかった。原発事故被害の特殊性にばかり注意が向いていた。

2013-08-03 22:21:20
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

14 「復興」とは、なんだろう。どうしても、災害発生以前と同じ場所で生活しないといけないのだろうか?遠い場所で生活を再建するのは、「復興」にならないのだろうか?

2013-08-03 22:27:19
宍戸俊則(shunsoku2002) @karitoshi2011

15 まだ、「復興」とは何なのか?どうあるべきなのか?どこまでをそう呼べるのか?結論を出すことが私にはできない。現段階で言えるのは、余りにも狭いイメージで「復興」が使われてきたのではないか?という疑問だけだ。災害に遭う、とは、そんなに甘いことではない。美談を並べて語るものでもない

2013-08-03 22:30:49